大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

徳島地方裁判所 昭和30年(わ)302号 判決 1963年10月25日

被告人 大岡正 外三名

主文

被告人四名はいずれも無罪。

理由

第一章検察官主張の公訴事実

第一業務上過失致死傷被告事件(昭和三十年(わ)第三〇二号事件)

東京都港区芝田町一丁目十二番地に本店を設置している森永乳業株式会社は、徳島県名西郡石井町高原に徳島工場(以下「本件工場」という。)を設置し、乳児用調製粉乳等の製造販売業を営んでいる。被告人大岡正は、昭和二十六年一月一日から昭和三十年五月一日までの間は本件工場の工場長として、同年同月二日から同年同月十六日事務引継をしたときまでの間は本件工場の工場長の職務の実質上の取扱者として、本件工場での乳児用調製粉乳の製造とこの製造に要する原材料の購入等との業務に従事していた。又被告人小山孝雄は昭和二十七年四月一日以降本件工場の製造課長として本件工場での乳児用調製粉乳の製造とこの製造に要する原材料の購入等との業務に従事している。本件工場での乳児用調製粉乳の製造に当り被告人両名は、工業用第二りん酸ソーダとして取引された薬剤を安定剤として原料牛乳に混和していたのである。ところで乳児用調製粉乳は一般人ことに身体未熟で抵抗力の弱い乳児の飲用に供されるものであるから被告人両名としては、乳児用調製粉乳中に人体に有害な物質の混入することを完全に抑止しなければならないという業務上の注意義務を負担している。しかも工業用第二りん酸ソーダとして取引された薬剤は、本来は食品製造に使用されるものではなく主として工業用として使用されるものであるから、その含有物質の種類や分量等についての規格も品質の保証もないし又その成分も詳細には明らかでないのみならず人体に有害な物質すなわちひ素等を多量に含有している粗悪品のある場合も往往にしてある。それゆえ工業用第二りん酸ソーダとして取引された薬剤を購入するときには、局方品とか試薬品等とかの薬剤すなわち成分規格の明らかな薬剤を指定して注文するとか、製造元・製造過程及び仕入経路等を調査するとか、成分の分析表を添付させたりするとかの処置をとつて人体に有害な粗悪品の入荷を防止しなければならないという業務上の注意義務がある。そして更に工業用第二りん酸ソーダとして取引された薬剤を使用するときには、薬剤の色・結晶状態及びきよう雑物の有無等を十分に検査し――ことに成分規格の明らかでないものについては厳密な化学的検査を行い――この薬剤が無害であることを確認しなければならないという業務上の注意義務がある。

一  ところが被告人両名は、不注意にも以上の業務上の注意義務に反し本件工場で、昭和三十年四月十三日から同年五月三十一日までの間まん然――すなわち以上の注文時における業務上の注意義務で要求されている処置をとらず――清水市北三保四千二十五番地の一にある日本軽金属株式会社清水工場で産出され大阪市東区平野町二丁目にある松野製薬株式会社(以下「松野製薬」という。)で再製された薬剤――工業用第二りん酸ソーダとして取引された薬剤――四箱(合計百六十キログラム)を徳島市幸町二丁目三十五番地にある協和産業株式会社(以下「協和」という。)から購入し、そのころ以上四箱の内三箱(合計百二十キログラム)を使用するに際し――この中には人体に害を与える程度の分量のひ素その他の有害物質が含有されていないであろうと軽信し、以上の使用時における業務上の注意義務で要求されている処置をとらず――この百二十キログラムの薬剤を安定剤として原料牛乳に混和しこの牛乳で乳児用調製粉乳を製造した。こうして製造された乳児用調製粉乳は、一かん四百五十グラム入りで、四十万二千五百七十六かんに達する。

二  又被告人小山孝雄は、不注意にも以上の義務上の注意義務に反し本件工場で、昭和三十年六月一日から同年八月二十三日までの間まん然――すなわち以上の注文時における業務上の注意義務で要求されている処置をとらず――日本軽金属株式会社清水工場で産出され松野製薬で再製された薬剤――工業用第二りん酸ソーダとして取引された薬剤――一箱(五十キログラム)を協和から購入し、そのころこの一箱と前記一の四箱の内残つていた一箱と(合計九十キログラム)を使用するに際し――この中には人体に害を与える程度の分量のひ素その他の有害物質が含有されていないであろうと軽信し、以上の使用時における業務上の注意義務で要求されている処置をとらず――この九十キログラムの薬剤を安定剤として原料牛乳に混和しこの牛乳で乳児用調製粉乳を製造した。こうして製造された乳児用調製粉乳は一かん四百五十グラム入りで、四十四万三千九百五十二かんに達する。

しかるところこの合計八十四万六千五百二十八かんの乳児用調製粉乳は、その原料牛乳に添加された――工業用第二りん酸ソーダとして取引された――薬剤が人体に害を与える程度の分量のひ素を含有するものであつたため、これがそのころ森永商事株式会社の手を経て徳島市等で販売されたところ、この内七かんまたは二十かんを飲用した徳島県麻植郡鴨島町上下島居住の猪井アイ子(昭和三十年五月六日生)が同年八月二十六日同県同郡同町鴨島にある糸田川病院でこの乳児用調製粉乳の飲用に基く慢性ひ素中毒により死亡し、同じくこの内九かん以上を飲用した徳島県三好郡三庄村中庄千八十三番地居住の林啓(昭和二十九年九月十六日生)が昭和三十年八月二十日この居住地でこの乳児用調製粉乳の飲用に基く慢性ひ素中毒により死亡し、それ以外に別表第一と別表第二とに記載したとおり以上の乳児用調製粉乳を飲用した者がこの飲用に基くひ素慢性中毒により死亡するないし中毒症を受けるに至つたものである。

第二食品衛生法違反被告事件(昭和三十年(わ)第三八〇号事件)

東京都港区芝田町一丁目十二番地に本店を設置している被告人森永乳業株式会社は、徳島県名西郡石井町高原に本件工場を設置し、粉乳と練乳等との製造販売業を営んでいる。被告人小山孝雄は本件工場の製造課長として、被告人中島俊夫は同森永乳業株式会社技術部検査課長として、いずれも以上の乳製品の製造に従事している。

一  ところが被告人小山孝雄と同中島俊夫とは共謀の上、同森永乳業株式会社の業務に関して、昭和二十九年五月六日から同年十月七日までの間香川県木田郡三木町にある森永乳業株式会社徳島工場三木受乳所と同県善通寺市にある同会社徳島工場善通寺受乳所と同県三豊郡豊中村にある同会社徳島工場高瀬受乳所と(この三箇所の受乳所を以下「本件受乳所」という。)で前記乳製品の原料牛乳として生産者から購入した牛乳に過酸化水素を混入した。この過酸化水素は合成漂白料以外の目的で使用されたものであるが、こうして生乳合計十万九千五百八十七・四キログラムに過酸化水素合計三万二千百十立方センチメートル位が混入された。

二  被告人小山孝雄は同森永乳業株式会社の業務に関して、昭和二十九年五月六日から同年十月七日までの間本件受乳所で前記乳製品の原料牛乳として生産者から購入した牛乳に過酸化水素を混入した。この過酸化水素は合成漂白料以外の目的で使用されたものであるが、こうして生乳合計九十六万三千三百八十七・九キログラムに過酸化水素合計十二万八千四百三十五・五立方センチメートルが混入された。

第三訴因

この事件で訴因となつているのは、昭和三十年(わ)第三〇二号事件では業務上過失致死傷罪のみであり、昭和三十年(わ)第三八〇号事件では「生乳に他物を混入しないこと」という基準に合わない方法により生乳を保存したという食品衛生法違反行為と「過酸化水素を、合成漂白料以外の目的で、使用しないこと」という基準に合わない方法により過酸化水素を使用したという食品衛生法違反行為とである。

第二章業務上過失致死傷被告事件

第一本件工場で製造された乳児用調製粉乳の中に、亜ひ酸を含有しているものがあつたこと

一  国立衛生試験所でした試験の結果、乳児用調製粉乳の中に亜ひ酸を含有しているもののあることが判明したこと

昭和三十三年七月四日付「鑑定人、証人尋問調書」の内証人田村俊吉の供述を録取した部分と昭和三十四年六月三日付「第二十七回公判調書」の内証人小坂真也の供述を録取した部分と昭和三十五年三月一日付「証人川城巖尋問調書」と昭和三十六年六月十五日付「第四十一回公判調書」の内証人佐尾山明の供述を録取した部分と昭和三十六年六月十日付「第四十二回公判調書」の内証人磯部克已の供述を録取した部分と昭和三十六年十月十二日付「第四十五回公判調書」の内証人佐尾山明の供述を録取した部分と領置した「食品添加物の知識」(昭和三十一年押第四十六号の十七)と領置した「衛生試験所報告別冊第七四号」(同号の九十九)と被告人大岡正の第六十一回公判期日における供述と被告人小山孝雄の第六十一回公判期日における供述とを総合すると、つぎの事実が明らかである。

昭和三十年六月下旬ごろから岡山県等で人工栄養乳児が下痢・発熱し又その皮膚が黒くなるという疾患にかかる現象が発生し、その患者の数が次第に増加したばかりかこの患者の中には発病後間もなく死亡する者さえあつた。そこで同年八月二十日ごろ岡山大学医学部でこの死亡児の病理解剖をしたところ、この疾患は重金属による中毒であるという事実が明らかになつた。ところで本件工場では以前から乳児用調製粉乳を製造していたが、以上の中毒患者は本件工場で製造された乳児用調製粉乳を飲用していたものと考えられたためこの乳児用調製粉乳の分析が試みられた。同年同月二十三日ごろ行われたこの分析において検体が多量のひ素化合物を含有していることが判明したので同年同月二十四日以降本件工場では、乳製品の製造をすべて中止し、既に製造された乳児用調製粉乳にひ素化合物が混入した原因の調査に全力をあげた。そのころ厚生省・徳島県衛生部及び徳島大学医学部も本件工場で製造された乳児用調製粉乳に関する調査をした。以上の調査の結果同年同月二十七日夜、本件工場で乳児用調製粉乳の製造の際安定剤として原料牛乳に添加されていた薬剤に多量のひ素化合物が含有されるに至つた原因であるということが判明した。ところで同年同月二十四日までは本件工場の消耗品倉庫に、安定剤として使用するため購入してあつた薬剤五十キログラムが木箱に入つたまま――かつ、この木箱のふたも全然開かれていない状態で――保管されていた。そしてその後この木箱入り薬剤五十キログラム(以下「本件未使用剤」という。)の内一部が司法警察員の手で押収されたのである。一方厚生省では乳児用調製粉乳中におけるひ素化合物の有無についての試験を国立衛生試験所に依頼し、同試験所で試験したところ別表第三記載のとおりの試験成績が出た。すなわち本件工場で製造された乳児用調製粉乳の内亜ひ酸含有という事実がこの試験によつて明らかになつたものの個数は数十個にのぼり、その内八個の亜ひ酸含有量はグートツアイト(Gutzeit)法なる定量分析法による測定で最低百万分の八から最高百万分の三十五まで(重量比)であつた。

二  本件工場で安定剤として用いられていた薬剤の中に、多量の比素を含有しているものがあつたこと

1 調製粉乳の製造の際安定剤を使用することの理化学的原理

昭和三十四年五月二十三日付「証人田中清一尋問調書」と昭和三十四年八月二十九日付「第三十二回公判調書」の内証人蒔田洋美の供述を録取した部分と昭和三十四年九月十日付「第三十三回公判調書」の内証人片岡哲の供述を録取した部分と昭和三十五年三月九日付「証人斎藤道雄尋問調書」と領置した「乳と乳製品の化学」(昭和三十一年押第四十六号の八十四)と領置した「乳と乳製品の物理」(同号の八十五)と領置した「Condensed Milk and Milk Powder」(同号の八十六)と領置した「Condensed Milk and Milk Powder」(同号の八十七)と領置した「ミルク工業上巻」(同号の八十八)と領置した「The chemistry and technology of food and food products」(同号の八十九)と領置した「Fundamentals of dairy science」(同号の九十)とによると、つぎのことがらが明らかである。

調製粉乳の価値はその溶解度(調製粉乳が溶けて牛乳に還元する程度)の良否によつて左右され、この溶解度を向上させるには重炭酸ソーダ・くえん酸または第二りん酸ソーダ等を(すなわち安定剤または緩衝剤と呼ばれている薬剤を)調製粉乳の原料牛乳に添加すると効果がある。このことは日本及び欧米各国でかなり以前から発表され乳製品製造業者間では一般に認められていたところであるが、その理化学的原理はつぎのとおりである。

牛乳はカルシウム等の陽イオン群とりん酸塩等の陰イオン群とから成り、その陰陽両群が平衡を保つている場合には牛乳中のカルシウムに結合しているカゼインの熱抵抗度が高いためこの牛乳を加熱しても凝固しないし又この牛乳から作られる調製粉乳の溶解度も完全であるが、この陰陽両群の平衡が破れている場合には牛乳中のカルシウムに結合しているカゼインの熱抵抗度が低いためこの牛乳を加熱すると凝固し又この牛乳から作られる調製粉乳の溶解度も不完全である。そして牛乳中の陰陽両群の平衡が破れているということの原因はおおむね、季節・乳牛の飼料・ひ乳期・乳牛の個体遺伝的要素または牛乳の輸送時間という諸条件の良否により牛乳中の陽イオン群が陰イオン群より多くなつているということにある。そこで陰陽両群の平衡が破れカゼインの熱抵抗度が低い牛乳に適量の安定剤(第二りん酸ソーダ等)を添加すると、この牛乳中の陰イオン群の欠如が補正されるので、この牛乳から作られる調製粉乳の溶解度も完全となるのである。

2 本件工場で調製粉乳の製造の際に原料牛乳に安定剤を添加していたこと

(一) 試験的製造

昭和三十四年六月十日付「第二十八回公判調書」の内証人山本薫の供述を録取した部分と昭和三十四年八月二十九日付「第三十二回公判調書」の内証人蒔田洋美の供述を録取した部分と昭和三十四年九月十日付「第三十三回公判調書」の内証人片岡哲・同橋本只義及び同阿下武雄の各供述を録取した部分と領置した「振替伝票」(昭和三十一年押第四十六号の七十九)と領置した「振替伝票」(同号の八十)と領置した「請求書綴」(同号の八十一)とによると、つぎの事実が明らかである。

昭和二十五年被告人小山孝雄から調製粉乳の溶解度の向上についての研究を命じられた本件工場製造係は、日本と欧米各国との諸文献を参照した上、大量入手が当時比較的容易だつた第二りん酸ソーダを安定剤として牛乳に添加しこの牛乳で調製粉乳を作るという方法で実験をして見ることにした。そこで本件工場では徳島市にある黒崎器械店から同年七月試薬一級の第二りん酸ソーダ一キログラム(五百グラム入りびん二本で、いずれも石津製薬株式会社が製造したもの)を代金三百六十円で購入しこれで試験して見たところ、「調製粉乳の溶解度を良くするには、その原料牛乳に対しその重量の一万分の一の重量の第二りん酸ソーダを安定剤として添加するのが最も効果的である。」という結論に達した。よつて更に本件工場では、徳島市にある大阪薬品株式会社徳島出張所から昭和二十六年三月試薬一級の第二りん酸ソーダ三十五キログラム(木箱入り一箱で、石津製薬株式会社が製造したもの)を代金七千七百円で購入し同年四月試薬一級の第二りん酸ソーダ七十キログラム(三十五キログラム入り木箱二箱で、いずれも石津製薬株式会社が製造したもの)を代金一万六千円で購入し、以上合計百五キログラムの第二りん酸ソーダを用いて前記の結論のとおりの方法で調製粉乳を試験的に製造して見たところ以上の結論のだ当であることが確認された。しかもこうして試験的に製造された調製粉乳はすべて人の飲用に供されたけれども、この調製粉乳を飲用したため傷害を受けた者が出たというような事故は全然報告されなかつた。

(二) 本格的製造

昭和三十三年十月三十一日付「証人尋問調書(松野隆信)」と昭和三十三年十二月一日付「第十四回公判調書」の内証人今津定の供述を録取した部分と昭和三十四年一月二十三日付「第十七回公判調書」の内証人松野隆信の供述を録取した部分と昭和三十四年三月二十日付「第二十回公判調書」の内証人今津定の供述を録取した部分と昭和三十四年三月十七日付「第二十一回公判調書」の内証人井上勝己の供述を録取した部分と昭和三十四年三月十九日付「第二十四回公判調書」の内証人井上邦夫の供述を録取した部分と昭和三十四年四月八日付「証人小坂真也尋問調書」と昭和三十四年五月二十日付「証人小坂真也尋問調書」と昭和三十四年六月三日付「第二十七回公判調書」の内証人小坂真也の供述を録取した部分と昭和三十四年六月十日付「第二十八回公判調書」の内証人山本薫の供述を録取した部分と昭和三十四年六月二十五日付「第二十九回公判調書」の内証人天羽邦治の供述を録取した部分と昭和三十四年七月六日付「第三十回公判調書」の内証人高瀬吉雄及び同富田重治の各供述を録取した部分と昭和三十四年九月十日付「第三十三回公判調書」の内証人橋本只義の供述を録取した部分と昭和三十六年五月八日付「第四十回公判調書」の内証人榊嘉宏の供述を録取した部分と小坂真也の検察官に対する供述を録取した昭和三十年九月十七日付供述調書と領置した「売掛帳」四冊(昭和三十一年押第四十六号の七十)と領置した「買掛金勘定帳」五冊(同号の七十一)と領置した「貯蔵品勘定帳」四冊(同号の七十二)と領置した「出庫票」十六枚(同号の七十三)と領置した「配乳表」五冊(同号の七十四)と領置した「Dry Milk Work」八つづり(同号の七十五)と領置した「振替伝票」(同号の七十九)と領置した「振替伝票」(同号の八十)と領置した「森永ドライミルク中毒事件」と題する写真帳(同号の百十五)と被告人小山孝雄の第六十一回公判期日における供述とを総合すると、つぎの事実が明らかである。

そこで本件工場では、乳児用調製粉乳の製造に際し原料牛乳に第二りん酸ソーダを安定剤として以上の試験により得られた混入率に従い画一的かつ継続的に添加することとしようという計画を立て、徳島市所在の協和に対して第二りん酸ソーダを発注した。この注文に応じて昭和二十八年四月十一日ごろから昭和三十年七月二十六日ごろまでの間に合計千三百キログラムの薬剤が協和から本件工場に納入されたが、昭和二十八年四月十一日ごろから昭和三十年八月二十三日までの間本件工場で乳児用調製粉乳の本格的製造の際に原料牛乳に安定剤として添加された薬剤はすべてこの千三百キログラムの薬剤の一部である。なおこの千三百キログラムの薬剤はすべて木箱入りという形で本件工場に納入されたところ、この納入年月日と納入数量と納入薬剤の製造元と代金とは別表第四記載のとおりである。こうして本件工場では昭和二十八年四月十一日ごろから昭和三十年八月二十三日までの間乳児用調製粉乳の製造に際し以上の千三百キログラムの薬剤の大部分(千二百五十キログラム以下で、かつ、千二百キログラムをこえる分量)がつぎのとおりの方法で安定剤として原料牛乳に添加された。なお、昭和三十年四月十三日から同年八月二十三日までの間におけるこの原料牛乳と安定剤との各分量は別表第五記載のとおりである。

乳児用調製粉乳の原料となるべき牛乳はその乳質が検査され、この検査を通過した牛乳がろ過工程・冷却工程及び貯乳工程を経た後本件工場内の荒煮がまの中で摂氏八十度の蒸気により殺菌される。その間安定剤は前記木箱から取り出されて計量され摂氏八十度の蒸留水の入つている搾乳かんの中に投入され、こうして作られた安定剤溶液が荒煮がまの中の原料牛乳の全部に画一的に――原料牛乳千キログラムに対して完定剤百グラム位を添加するようになる分量だけ――添加される。なおその際別にその他の添加物(ビタミンA・ビタミンD・ビタミンB12・炭酸カルシウム・砂糖・乳酸菌・ニコチン酸及びマルツ等)が荒煮がまの中の原料牛乳に添加される。そして荒煮工程すなわち加熱殺菌工程が行われその後濃縮工程と乾燥工程とを経て乳児用調製粉乳が作られこれがかん詰めにされて乳児用調製粉乳製造作業が完了するのであるが、こうして原料牛乳千キログラムから乳児用調製粉乳百六十五キログラムが作り出される。

3 本件未使用剤がひ酸とりん酸等とによつて組成されている特殊化合物であること

司法警察員佐藤茂の作成した昭和三十年八月二十九日付「捜索差押調書(甲)」とこれに添付されている押収品目録と前記第一の一冒頭に掲げた各証拠とによると、領置した「ビニール袋入り第二りん酸ナトリウム約五・七キログラム」(昭和三十一年押第四十六号の二)と領置した「第二りん酸ナトリウム約十六・五キログラム」(同号の三)とはいずれも本件未使用剤の一部であることが明白である。そして槌田竜太郎の作成した昭和三十一年十月一日付「鑑定書」と昭和三十二年二月五日付「証人槌田竜太郎尋問調書」と昭和三十二年四月六日付「証人槌田竜太郎尋問調書」と大八木義彦の作成した昭和三十一年十一月十日付「鑑定の件についての報告」と上田武雄の作成した昭和三十一年十一月三十日付「鑑定書」と昭和三十二年四月六日付「証人尋問調書」の内証人大八木義彦の供述を録取した部分と昭和三十二年四月六日付「証人尋問調書」の内証人上田武雄の供述を録取した部分とによると、領置した「ビニール袋入り第二りん酸ナトリウム約五・七キログラム」と領置した「第二りん酸ナトリウム約十六・五キログラム」とはいずれもりん酸とひ酸とヴアナジウム酸とふつ素とナトリウムと水とによつて組成されている特殊化合物で構成されているものであつてその内ひ酸の重量は特殊化合物の重量の一〇・八八パーセントないし一一・〇四パーセントを占めているということが明らかである。

4 本件未使用剤は多量のひ素を含有しているものであること

前記3のことがらと証人小坂真也の第五十六回公判期日における供述と証人堺昭治・同佐尾山明及び同西山誠二郎の各第五十七回公判期日における供述と証人荏原秀介・同割石憲一・同高木潤一及び同伊東半次郎の各第五十八回公判期日における供述と佐尾山明の作成した昭和三十年九月二十八日付「鑑定書」と警察庁科学捜査研究所化学課で作成された昭和三十年十二月十二日付「鑑定書」と徳島県衛生試験所で作成された昭和三十年十月一日付「鑑定書」と伊東半次郎の作成した昭和三十年九月二十二日付「鑑定書」と伊東半次郎の作成した昭和三十年十月二十四日付「鑑定書」とを総合すると、

本件未使用剤はすべて前記のとおりの特殊化合物で構成されているものであつてその中のひ素の重量は特殊化合物の重量の四・二パーセントないし六・三パーセントを占めているということが明らかである。

5 本件未使用剤の出所・経路及び加工方法

(一) 日本軽金属株式会社清水工場から松野製薬までの経路

昭和三十一年六月十八日付「証人岡沢富雄尋問調書」と昭和三十一年六月十八日付「証人北島五郎尋問調書」と昭和三十一年六月十八日付「証人日比野泰三尋問調書」と昭和三十一年七月五日付「証人佐野彦助尋問調書」と昭和三十一年七月五日付「証人田中重二尋問調書」と昭和三十一年七月二十八日付「証人大倉親英尋問調書」と昭和三十一年八月二十五日付「証人朝野伝尋問調書」と昭和三十三年十二月一日付「第十三回公判調書」の内証人松野隆信の供述を録取した部分と領置した「売原簿」(昭和三十一年押第四十六号の七)と領置した「材料出納簿」(同号の八)と領置した「製品出納簿」(同号の九)と領置した販売原簿写真二枚(同号の三十)と領置した「買掛金台帳」三冊(同号の三十六)とによると、つぎの事実が明らかである。

静岡県清水市にある日本軽金属株式会社清水工場でボーキサイトからアルミナを製造するとき輸送管等の内面に付着する不純物を除去する装置が昭和二十八年秋初めて設置され、この装置により取り出された不純物が昭和二十九年秋同工場から新日本金属化学株式会社に売却され、同会社はその不純物の大部分を――「粗製りん酸ソーダ」と仮称して――昭和三十年春丸安産業株式会社に譲渡し、同会社はその不純物をそのまま松野製薬に譲渡した。松野製薬ではこの不純物を「りん酸ソーダ」という名前で売り出そうと考え、この不純物の脱色を生駒薬化学工業株式会社に依頼した。この依頼により同会社はこの不純物をつぎのとおりの方法で精製しこうして精製(再結晶)された物質(以下「本件物質」という。)を松野製薬に納入した。

以上の不純物をそのまま鉄製のなべに入れこれに水を注ぎコークスがまで熱する。こうして摂氏百度位の温度で熱し続けるとこの不純物溶液の上部に白色の結晶膜が現れて来る。そこでこの溶液中に脱色炭(活性炭)を入れ――更にアルカリ分が不足のときにはか性ソーダ溶液を添加し――た上、ろ布で以上の不純物溶液をろ過した後これを二日間位放置して自然に冷却するのを待つ。そうすると以上の不純物溶液は赤色の廃液が表面に付着している白色結晶体に変わるので、この結晶体を取り出しこれを遠心分離機で脱水(廃液除去)する。こうして作り出されたものは、その内アルカリ分の多いものに「第三りん酸ソーダ」という名称を付しアルカリ分の少いものに「第二りん酸ソーダ」という名称を付して、そのままこれを木箱に詰めて松野製薬に納入する。

(二) 松野製薬から本件工場までの経路

前記2の(二)冒頭に掲げた各証拠と昭和三十三年十二月一日付「第十三回公判調書」の内証人松野隆信の供述を録取した部分と領置した「売掛簿」三冊(昭和三十一年押第四十六号の三十七)と領置した「買原簿」四冊(同号の六十八)とによると、つぎの事実が明らかである。

生駒薬化学工業株式会社が以上の作業をしていたところ協和から第二りん酸ソーダの発注を受けた松野製薬は、この注文にかかる薬剤の納入として、生駒薬化学工業株式会社から松野製薬に納められたものの内「第二りん酸ソーダ」という名称の付されていたものを協和に納入した。この納入物件は本件物質の一部が木箱に入れられこの木箱に「第二りん酸ソーダ」という表示を付けたものに過ぎなかつたのであるが、これを受領した協和はこれが第二りん酸ソーダ(既にこれまで協和が松野製薬から仕入れて本件工場に納入した第二りん酸ソーダと同一品質のもの)であると信じていたのである。そこで協和は本件工場から第二りん酸ソーダの注文を受けたときこの注文にかかる薬剤の納入として以上の木箱入り本件物質を本件工場に納入した。本件工場が購入した前記千三百キログラムの薬剤の内合計二百六十キログラムの薬剤(昭和三十年四月十三日ごろと同年同月三十日ごろと同年七月二十六日ごろとの三回にわたつて本件工場が購入したもの全部であつて、以下この二百六十キログラムの薬剤を「松野製剤」という。)はすべて以上の経緯で協和の手に渡つていた本件物質の一部に外ならず、又本件未使用剤は松野製剤の一部に外ならない。こうして本件工場に入つて来た松野製剤は前記の不純物除去装置により取り出された不純物が生駒薬化学工業株式会社がこれに前記の加工をした外は単にその名称と包装とに変更を見ただけでありその成分・成分比率または性質に変化の生ずるような加工が加えられていないものに過ぎない。

6 松野製剤全体の化学的組成

そうすると、本件未使用剤は松野製剤の一部であり又松野製剤はすべて本件物質から成り更に本件物質はその全部が――前記のとおりの事情により――成分・性状を同じくするものといわなければならない(ただし着色状態は必ずしも常に同一とはいえないのであり、このことは前記5の(一)の作業において廃液除去が遠心分離という方法で行われていたことのみに照らして見ても既に明らかなところである。)から、松野製剤はその全部が前記3のとおりの特殊化合物から成り更にその中のひ素の分量が前記4のとおりであるといわなければならない。

三  本件工場で製造された乳児用調製粉乳の中に亜ひ酸を含有しているものがあつたこと及びその原因

1 松野製剤が安定剤として添加された原料牛乳で作られる乳児用調製粉乳中のひ素

そうすると、松野製剤が本件工場における乳児用調製粉乳の製造に際し前記二の2の(二)のとおりの方法で安定剤として原料牛乳に添加されるときには(そして現実に松野製剤の大部分――二百十キログラム以下で、かつ、百六十キログラムをこえる分量――が本件工場で昭和三十年四月十三日ごろから同年八月二十三日までの間乳児用調製粉乳の製造に際し前記二の2の(二)のとおりの方法で安定剤として原料牛乳に添加されたのであり、このことは既述のところで明白である。)こうして製造される乳児用調製粉乳はその重量の百万分の二十五・四位ないし百万分の三十八・一位がひ素で占められていることになり、このことは計算上明らかなところである。一方前記一末尾の八個の乳児用調製粉乳はその重量の百万分の六ないし百万分の二十六・五がひ素で占められていることも計算上明らかなところである。

2 安定剤の内松野製剤以外のものにはほとんどひ素が含有されていなかつたこと

前記二の2の(二)冒頭に掲げた各証拠と昭和三十一年八月二十五日付「証人本田直栄尋問調書」と昭和三十三年四月二十五日付「証人水木義治尋問調書」と昭和三十四年九月八日付「証人白子敏尋問調書」と証人本田直栄の第五十六回公判期日における供述と領置した「挨拶状」(昭和三十一年押第四十六号の四十)と領置した「分析成績通知書」の写真(同号の四十一)と領置した「分析成績書」の写真(同号の四十二)とによると、昭和二十八年四月から昭和三十年八月二十三日までの間本件工場で乳児用調製粉乳の製造に際し安定剤として原料牛乳に添加された薬剤の内松野製剤以外のものはすべて米山化学工業株式会社の製造した無規格品たる第二りん酸ソーダであること及びこの無規格第二りん酸ソーダの純度(すなわち(Na2HPO47H2OまたはNa2HPO412H2Oの含有率)が九十九パーセント前後であり又その中のひ素含有率は〇・〇〇〇五パーセント前後(重量比)であつて実質的には局方品や試薬品と比較しても全くそん色のないものであつたことが明白である。そうするとこの第二りん酸ソーダが本件工場における乳児用調製粉乳の製造に際し前記二の2の(二)のとおりの方法で安定剤として原料牛乳に添加されるときには(そして現実にこの第二りん酸ソーダが本件工場で昭和二十八年四月から昭和三十年八月二十三日までの間乳児用調製粉乳の製造に際し前記二の2の(二)のとおりの方法で安定剤として原料牛乳に添加されたのであり、このことは既に明白である。)こうして製造される乳児用調製粉乳中のひ素含有率(厳密にいうと、この安定剤添加によつて増量したひ素の含有率)は僅かに乳児用調製粉乳の重量の百万分の〇・〇〇三位に過ぎないという上こと計算上明白である。

3 昭和三十年四月十二日ごろ以前に製造された乳児用調製粉乳はすべて、ひ素による傷害ということに関する限り、全く無害なものであつたこと

前記一冒頭に掲げた各証拠によるとつぎの事実が明らかである。

本件工場で製造された乳児用調製粉乳はひ素を含有しているものがその中にあるのではないかという疑惑の生じたのは昭和三十年六月ごろ人工栄養乳児が当時としては原因不明のひ素中毒症を呈し始めたことがきつかけとなつたものであり、それ以前には乳児用調製粉乳を飲用したため傷害を受けたというようなことは全然報告されていなかつた。又国立衛生試験所で本件工場が昭和三十年一月から同年八月までの間に製造した乳児用調製粉乳を検査したが、この検体の内同年四月十二日ごろ以前に製造されたものと同年六月二十六日から同年八月三日までの間に製造されたものとからは全然ひ素が検出されなかつた。

4 なお松野製剤が本件工場に納入されたのは昭和三十年四月十三日ごろと同年同月三十日ごろと同年七月二十六日ごろとでありその間同年六月三日に米山化学工業株式会社の製品(第二りん酸ソーダ)百キログラムが本件工場に納入されており更に同年四月十二日ごろ以前に本件工場に納入された安定剤は(前記二の2の(一)のものを除き)すべて米山化学工業株式会社の製品(第二りん酸ソーダ)であつたものであり、このことは既に明白なところである。

5 以上1から4までにおいて明らかにされたことを総合して見ると、本件工場で製造された乳児用調製粉乳の中に含有されているひ素は松野製剤中に含有されていたひ素によつて占められ又本件工場で製造された乳児用調製粉乳の内松野製剤が添加された原料牛乳から作られたものはすべて百万分の八ないし百万分の三十五位(重量比)の亜ひ酸を含有しその他の乳児用調製粉乳はすべて亜ひ酸含有率が零に近い(多くても百万分の〇・三――重量比――未満である。)のであるといわなければならない。そうしてこのように多量の(重量比で百万分の八以上の)亜ひ酸を含有する乳児用調製粉乳(以下「本件粉乳」という。)が生じた原因は本件工場でこれを製造する際原料牛乳に安定剤として前記二の2の(二)のとおり添加していた薬剤が松野製剤でありこれに重量比で四・二パーセント以上のひ素が含有されていたことに――そしてこのことのみに――存するといわなければならない。なお本件粉乳の数量・出荷先・出荷数量及び消費(人の飲用した)量がどれだけであつたかということはこれを確定することができないけれども、ただ昭和三十年四月から同年八月までの間本件工場で製造された乳児用調製粉乳の生産高・出荷先及び出荷数量が別表第六記載のとおりであることは昭和三十四年六月十三日付「第二十六回公判調書」の内証人小松弘の供述を録取した部分と昭和三十六年五月八日付「第四十回公判調書」の内証人大久保智子の供述を録取した部分と昭和三十六年六月十日付「第四十二回公判調書」の内証人小松弘の供述を録取した部分と小松弘の検察官に対する供述を録取した昭和三十一年一月三十一日付供述調書とによつて明らかである。

第二本件粉乳がその飲用者に傷害をもたらすおそれのあるものであること及び亜ひ酸含有率が重量比で百万分の〇・三未満の乳児用調製粉乳は――ひ素による傷害ということに関する限り――その飲用者に傷害をもたらすおそれが全然ないものであること

一  本件粉乳を飲用する者は一日一・二四ミリグラム位の亜ひ酸を経口摂取することになること

本件粉乳が人の飲用に供されるときには飲用者が本件粉乳一グラムを口に入れるたびに千分の八ミリグラムないし千分の三十五ミリグラム位の亜ひ酸を経口摂取することになる道理である。そして乳児用調製粉乳を最も多量に又最もひんぱんに飲用する者が生後八月までの人工栄養乳児であることは経験法則上明らかなところであり、更に経験法則と領置した「ドライミルク空かん」(昭和三十一年押第四十六号の百四十五)とによると人工栄養乳児が乳児用調製粉乳を摂取する分量は別表第七記載のとおりであつてその最大値が一日百五十五グラム位であることが明白である。そうすると本件粉乳が人の飲用に供されるときにこれによつて飲用者が経口摂取する亜ひ酸の量の最大値は――これをミルクにするために添加される水の中に含有されているひ素を無視するとしても――一日一・二四ミリグラムないし五・四二五ミリグラム位であるといわなければならない。

二  生後八月以下の乳児の亜ひ酸摂取量が一日一・二四ミリグラム位になることは、この亜ひ酸摂取によりこの乳児が傷害を受けるおそれのあるものであること

1 亜ひ酸を経口摂取するときに生ずる反応

昭和三十三年七月四日付「鑑定人、証人尋問調書」の内鑑定人阿部勝馬の供述を録取した部分と昭和三十三年六月三十日付「証人尋問調書」の内証人浅野秀二の供述を録取したものと領置した「薬の原理とその応用」(昭和三十一年押第四十六号の四十七)と領置した「薬理学」(同号の四十八)と領置した「内科診療の実際」(同号の五十一)と領置した「薬理学」(同号の五十五)と領置した「薬物学」(同号の五十六)とによると、つぎのことがらが明らかである。

亜ひ酸が一定の分量だけ経口摂取される場合(この一定の分量にはある程度の幅があることはもち論である。)にはこの亜ひ酸の酸化作用によつて人体の異化的作用が減退して同化的作用が優勢になり人体諸組織の増殖(骨の発生・たん白質の付着・脂肪組織の肥厚・皮膚の光沢・赤血球の増加等)がひき起されるが、このような細ぼうに対する形成的影響は積極的代謝が増進することに基くものではなく基礎的代謝が低下することに基くものに過ぎない。従つて亜ひ酸の経口摂取量が以上の一定分量をこえ又これが継続的に経口摂取される場合には、同化的機能が優勢になり過ぎて身体諸組織が崩壊しつぎのような慢性中毒症状がひき起され場合によつてはそのために死亡することもある。又亜ひ酸が大量に一時的に経口摂取される場合には、まひ型症状(下腹臓器の血管拡張、心臓まひ)または胃腸型症状(がん固なおう吐・下痢・ひ腸けいれん・チアノーゼ等)を呈して死亡する。

第一期症状(消化器系障害)――貧血・呼吸困難・食欲不振・吐きけ・便通不整等

第二期症状(皮膚粘膜障害)――皮膚乾燥・発しん・ひ素黒皮症・結膜炎・眼けん浮しゆ・上気道及び気管支炎等

第三期症状(神経系障害)――頭痛・精神機能低下・多発性神経炎・知覚障害等

第四期症状(内臓諸器管障害)――肝臓等(心臓・肝臓・ひ臓・じん臓等)の脂肪変性・黄だん・貧血・浮しゆ・心衰弱等

2 成人が亜ひ酸を経口摂取する場合の影響

(一) 日本薬局方で定められていることがら

日本薬局方が日本の医療品に関する公定の基準書で一般に医師等が処方するときの規制または指針を与えるものであることはいうまでもないところであり、薬事法が昭和三十六年二月施行されてから後は同法第四十一条第一項において日本薬局方が法的根拠を持つことになつた。そして昭和三十三年七月四日付「鑑定人、証人尋問調書」の内鑑定人阿部勝馬の供述を録取した部分及び領置した「日本薬局方」(昭和三十一年押第四十六号の五十四)によると、亜ひ酸は日本薬局方に登載され医療品としての取扱を受けている薬剤に属し昭和三十年一月以降日本薬局方では成人が亜ひ酸を経口摂取する場合における分量についてつぎのとおり定められていることが明らかである。

(1) 常用量(医薬品についてこれを最も普通に用いた場合に治療効果を期待することのできる分量)――一日一ミリグラムから五ミリグラムまで

(2) 極量(医薬品についてこれを最も普通に用いた場合に危険なく使用することのできる分量の最大値)――一回五ミリグラム、一日十五ミリグラム

(3) 最小常用量(常用量の最小用量)――一日一ミリグラム

(二) 亜ひ酸摂取量と亜ひ酸摂取により傷害を受ける危険性との関係

昭和三十二年十月二十八日付「証人尋問調書」の内証人池田良雄の供述を録取したものと昭和三十二年十月二十八日付「鑑定人、証人尋問調書」として鑑定人阿部勝馬及び証人田村俊吉の各供述を録取したものと昭和三十二年十月二十八日付「証人尋問調書」の内証人浅野秀二の供述を録取したものと昭和三十二年十月十六日付「証人金原松次尋問調書」と昭和三十三年七月四日付「鑑定人、証人尋問調書」の内鑑定人阿部勝馬及び証人田村俊吉の各供述を録取した部分と昭和三十三年六月三十日付「証人尋問調書」として証人浅野秀二の供述を録取したものと昭和三十三年九月十日付「証人尋問調書」の内証人金原松次の供述を録取したものと池田良雄の作成した昭和三十二年一月付「鑑定書」と昭和三十三年九月十日付「証人尋問調書」の内証人池田良雄の供述を録取したものと昭和三十五年三月一日付「鑑定人奥井誠一尋問調書」と前記(一)のことがらとを総合すると、つぎのことがらが認められる。

成人が亜ひ酸を経口摂取するとき、

(1) この摂取量が局方所定の最小常用量未満すなわち一日一ミリグラム未満である場合には、いかなる人が摂取しても、摂取者にこの亜ひ酸摂取による有害作用や薬効作用がもたらされることは――現実にはもち論のこと、その危険性さえも――全然ないけれども、

(2) この摂取量が局方所定の最小常用量以上でかつ局方所定の極量以下である(すなわち一日一ミリグラム以上一日十五ミリグラム以下である)場合には、摂取者の身体的条件のいかんによつては、摂取者がこの亜ひ酸摂取により副作用(軽度の頭痛・下痢等)の傷害を受けたりときにはいわゆる中毒の傷害を受けたりすることがあるし、

(3) この摂取量が局方所定の極量すなわち一日十五ミリグラムをこえる場合には、摂取者がこの亜ひ酸摂取により中毒とか副作用とかの傷害を受けることがほぼ確実である。

3 乳児が亜ひ酸を経口摂取する場合の影響

(一) 乳児における亜ひ酸の最小常用量及び極量

前記(2)の(二)冒頭に掲げた各証拠と領置した「小児薬用量とその与へ方」(昭和三十一年押第四十六号の四十九)と領置した「内科診療の実際」(同号の五十一)と領置した「小児科診療第二十巻第一号」(同号の五十二)とによると、つぎのことがらが明らかである。

乳児に関して亜ひ酸摂取量と亜ひ酸摂取により傷害を受ける危険性との関係を考察するについても、成人に関してこれを考察するのと同様に、亜ひ酸の最小常用量とか極量とかを基準にすることが便ぎ的であり又やむをえないことである。しかし亜ひ酸の最小常用量とか極量とかを乳児について公定したものは特別に存在しないので、乳児に関し亜ひ酸の摂取量と亜ひ酸摂取により傷害を受ける危険性との関係を判断することは成人に関するそれと比較すると特に困難である。ただ学理上一般薬剤について成人における分量(最小常用量・極量)との比率によつて乳児におけるそれを算出する方式として年令基準方式・体重基準方式及び体表面積基準方式等が、これらの方式とても一応の仮説という域を出ないものではあるけれども、発表されかつ利用されて来た。そしてこれらの諸方式の内最も厳格な――すなわち乳児における分量を最も控え目にする――ものは体重基準方式であり、これによると乳児における亜ひ酸経口摂取の場合の最小常用量はその最小値(すなわち当該乳児が新生児であるとき)が成人の経口摂取の場合の亜ひ酸の最小常用量(一日一ミリグラム)の二十分の一でありこれが当該乳児の出生後における体重の増加に比例して増加して行くものである。又以上の諸方式の内最もゆるやかな――すなわち乳児における分量を最も多量にする――ものはアウグスベルゲル(Augsberger)氏式であり、これによると生後一年未満の乳児における亜ひ酸経口摂取の場合の極量は成人におけるそれ(一日十五ミリグラム)の二十五分の六である。

(二) ひ素を含有する薬剤の服用によつて乳児が経口摂取している亜ひ酸の分量

前記2の(二)冒頭に掲げた各証拠の内鑑定人阿部勝馬と証人田村俊吉と同浅野秀二との各供述を録取した部分、領置した「小児薬用量とその与へ方」(昭和三十一年押第四十六号の四十九)及び領置したアルゼンブルトーゼ(同号の五十)領置した「小児科診療第二十巻第一号」(同号の五十二)によるとつぎのことがらが明らかであり、このことから推すとひ素剤の乳児に対する影響力は一般薬剤のそれに比して鈍く乳児はひ素剤に対し相当強度の耐容性ないし抵抗力を有しているといわなければならない。

臨床的に乳児に変質強壮剤としてホーレル水(その一パーセントが亜ひ酸から成る。)とアルゼンブルトーゼ(その〇・〇〇三パーセントがひ素から成る。)とが投与されて効果を治めている。そしてホーレル水の通常使用例によると、生後一月から生後六月までの乳児は一日〇・六ミリグラムの亜ひ酸を経口摂取することになり、生後七月から生後一年までの乳児は一日〇・九ミリグラムの亜ひ酸を経口摂取することになる。又アルゼンブルトーゼの通常使用例によると、生後一月から生後六月までの乳児は一日〇・一八ミリグラムないし〇・二四ミリグラムのひ素を経口摂取することになり、生後七月から生後一年までの乳児は一日〇・三ミリグラムないし〇・六ミリグラムのひ素を経口摂取することになる。

(三) 出生時から生後八月までの間における乳児の体重の増加

生後八月までの乳児の体重と新生児の体重との比率(すなわち出生時から八月間における乳児の成長率を体重を基準として見たもの)は大体別表第八記載のとおりであつて、このことは経験法則上明らかなところである。

(四) 亜ひ酸摂取量と亜ひ酸摂取により傷害を受ける危険性との関係

以上(一)から(三)までのことがらと前記2の(二)冒頭に掲げた各証拠とを照らし合わせて見ると、つぎのことがらが認められる。

乳児が亜ひ酸を経口摂取するとき、

(1) この摂取量が別表第八記載の分量(局方所定の最小常用量一日一ミリグラムに乳児の体重を乗じたものを成人の体重で除したものであり、この最小値すなわち当該乳児が新生児であるときには局方所定の最小常用量の二十分の一となる。)未満である場合には、いかなる乳児が摂取しても、摂取者がこの亜ひ酸摂取による傷害を受けることは――現実にはもち論のこと、その危険性さえも――全然ないけれども、

(2) この摂取量が別表第七記載の分量以上でかつ一日〇・九ミリグラム(ホーレル水の服用によつて摂取される亜ひ酸の量の最大値)以下である場合には、摂取者の身体的条件のいかんによつては、摂取者がこの亜ひ酸摂取により副作用の傷害を受けたり、ときには中毒の傷害を受けたりすることがあるし、

(3) この摂取量が一日〇・九ミリグラムをこえる場合には、摂取者がこの亜ひ酸摂取により中毒とか副作用とかの傷害を受けるかも知れないという危険性が相当強度であり、

(4) この摂取量が一日三・六ミリグラム(局方所定の極量一日十五ミリグラムの二十五分の六)をこえる場合には、摂取者がこの亜ひ酸摂取により中毒とか副作用とかの傷害を受けることがほぼ確実である。

4 結論

そうすると、生後八月以下の乳児の亜ひ酸摂取量が一日一・二四ミリグラム位になることは、この亜ひ酸摂取によりこの乳児が傷害を受けるおそれのあるものであるといわなければならない。そして一方生後八月以下の乳児の亜ひ酸摂取量が別表第八記載の分量未満である場合には、この亜ひ酸摂取によりこの乳児が傷害を受けるというような危険性は全然ないことが明らかである。

三  本件粉乳がその飲用者に傷害をもたらすおそれのあるものであること

そうすると、乳児用調製粉乳中にその重量の百万分の八以上の亜ひ酸が含有されているときには、この乳児用調製粉乳はその飲用者に傷害をもたらすおそれのあるものであるといわなければならない。そして本件粉乳はこのような乳児用調製粉乳に該当するものであるから、その飲用者に傷害をもたらすおそれのあるものであることは明白である。しかも乳児用調製粉乳の製造業者としては、乳児用調製粉乳中にその重量の百万分の八以上というような多量の亜ひ酸が含有されないように気をつけて乳児用調製粉乳の製造をしなければならないという注意義務を負担していることはいうまでもない。そこでこれから本件工場での本件粉乳の製造(第二りん酸ソーダの発注及び松野製剤を原料牛乳に添加したこと)に際し以上の注意義務に欠けるところがなかつたかどうかという問題を検討しなければならないのであるが、その前に、乳児用調製粉乳中に含有されている亜ひ酸の分量がどれだけ以下に押えられているならば以上の注意義務とかこれに対する違反行為とかが取り上げられる要をみないかという問題を考察して見よう。

四  乳児用調製粉乳中の亜ひ酸含有率が重量比で百万分の〇・三未満である場合には、この乳児用調製粉乳の製造者について過失の有無を論ずべきではないということ

1 問題の所在

乳児用調製粉乳中に亜ひ酸が含有されておりそのためこの乳児用調製粉乳を飲用する者がこの飲用により亜ひ酸を経口摂取することになるにせよ、この乳児用調製粉乳中の亜ひ酸含有量が一定量未満でありそのためこの乳児用調製粉乳の飲用者の摂取する亜ひ酸の量が――この乳児用調製粉乳とこれ以外の摂取物とに含有されている亜ひ酸を合算しても――別表第八記載の分量未満の量(以下「亜ひ酸無害量」という。)にとどまるときには、乳児用調製粉乳中の亜ひ酸が含有されていることが原因となつて傷害事故が発生するかも知れないという危険性が客観的には全然存在しないわけである。そこでこのような場合にはこの乳児用調製粉乳の製造者について前述の注意義務すなわち亜ひ酸混入防止義務に対する違反という問題を取り上げることができない道理である。ところで亜ひ酸無害量を基準として以上の意味における乳児用調製粉乳中の亜ひ酸の許容量(以下「粉乳無害量」という。)を割り出すについては、連用・乳児用調製粉乳をミルクにするために添加される水の中に含有されているひ素及び乳児用調製粉乳以外の摂取物中に含有されているひ素についての検討が加えられなければならない。しかしこの検討に入る前にまずここにいわゆる粉乳無害量と食品衛生上のじよう限度量との関係について一言しなければなるまい。

2 粉乳無害量とじよ限度量との関係

食品衛生法は「人の健康を害う虞がない場合として厚生大臣が定めるとき」以外には「有毒な、又は有害な物質が含まれ、又は附着しているもの」を製造してはならないと定め(第四条第二号)又乳児用調製粉乳中における亜ひ酸の含有という点については同法にいわゆる「厚生大臣の定め」なるものは存在しない。そうすると、亜ひ酸が「有毒な、又は有害な物質」に該当することはもち論であるから、文理上は亜ひ酸が少しでも含まれる乳児用調製粉乳はこれを製造してはならないというべきであるかも知れない。しかしここでの粉乳無害量とか亜ひ酸混入防止義務とかの問題は、食品製造業者はその製造にかかる食品の中に――食品摂取により摂取者が傷害を受けることのないように――亜ひ酸が多量に(すなわち当該食品の通常の摂取方法により一般人が当該食品を、大量に又継続的に、摂取してもそのため亜ひ酸による傷害事故の発生する危険性のない分量をこえて)混入しないよう注意を払わなければならないということを眼目とするものであり、食品製造業者は食品の製造に際し食品衛生関係法規に定められていることとか食品衛生上の行政官庁の指定とかをじゆん奉しなければならないという問題またはその製造食品に「有毒な、又は有害な物質」が全然含有されないようにあるいはその含有量を食品衛生上のじよ限度量の範囲内にとどめるようにしなければならないという問題には直接の関連性がないのである。もち論じよ限度量なるものは、乳児用調製粉乳中の亜ひ酸については、亜ひ酸無害量を基準として算出される粉乳無害量と一致すべきであろうが現実には必ずしもそうであるとは限らない。けだしじよ限度量なるものは、それが決定される当時における科学的資料の不備等の事情のため明確な一線を導き出すことのできない場合等には、安全の上に安全を期すという食品衛生上の合目的的・政治的ないし行政的指導理念の下になるべく低い段階において決定されるのが理想でありそのため自然法則的ないし科学的因果関係から算出される粉乳無害量よりも低いことが比較的多いからである。そこでじよ限度量の数値が粉乳無害量の数値に及ばない場合には、じよ限度量をこえる分量の亜ひ酸が乳児用調製粉乳に含有されていてもその含有量が粉乳無害量をこえないときには前述の亜ひ酸混入防止義務に対する違反という問題を論ずることはできない道理であり、この意味においてじよ限度量がどうであるか(または、どうであるべきか)ということはこの事件では全然価値のないものといわなければなるまい。従つて、前記二の2の(二)冒頭に掲げた各証拠の内証人池田良雄の供述を録取した部分と池田良雄の作成した昭和三十二年一月付「鑑定書」とに記載されている「乳児用調製粉乳中における亜ひ酸についてその許容量は百万分の〇・一以下でなければならない。」という見解は、その立論の当否についての判断を加えるまでもなく、粉乳無害量についての見解ではなくじよ限度量についての見解であるに過ぎない(このことは本文記載の証拠全体を通読しただけで既に明白である。)から粉乳無害量とか前述の亜ひ酸混入防止義務とかの考察に際し資料たりうるものではないわけである。

3 水の中のひ素

乳児用調製粉乳はミルクとして人の飲用に供されるものでありその際乳児用調製粉乳に加えられる水の量が別表第七記載のとおりであることは領置した「ドライミルク空かん」(昭和三十一年押第四十六号の百四十五)によつて明白である。そして水道水の中には百万分の〇・〇五までのひ素が含有されることがありうることは、水道法第四条・水道基準に関する省令(昭和三十三年厚生省令第二十三号)別表第三の二によつて明らかなところである。

4 乳児用調製粉乳以外の摂取物の中の亜ひ酸

粉乳無害量を亜ひ酸無害量から算出するについて、乳児用調製粉乳以外の摂取物の中にも亜ひ酸が含有されているかどうか又この含有量がどれだけであるかという問題を――いわゆる毒物の累積作用ということと関連して――取り上げなければならないであろうか。この点については、亜ひ酸無害量なるものは日本薬局方所定の最小常用量を基準にとりこれから算出されたものであることは既述のとおりであり更に日本薬局方にいわゆる最小常用量なるものは当該薬剤の摂取者が摂取する――当該薬剤以外の――摂取物の中に含有されている同一毒物の分量をも考慮した上で定められているものである(このことは特に証拠による裏付けを必要とするまでもなく明らかなところである。)から、乳児用調製粉乳の摂取量においてその最大値(一日百五十五グラム位)をとつて粉乳無害量を考えるならば特に乳児用調製粉乳以外の摂取物の中の亜ひ酸について考慮しなくても事の解決を計ることができるといわなければなるまい。

5 連用摂取

乳児用調製粉乳なるものが毎日連用して摂取されるものであることと一般に毒物についてはその蓄積による害毒ことに毎日連続して経口摂取される場合の害毒が問題になるということとは経験法則上明らかなところである。しかし前記二の2の(二)冒頭に掲げた各証拠の内証人田村俊吉と同浅野秀二と同池田良雄と鑑定人阿部勝馬と同奥井誠一との各供述を録取した部分及び池田良雄の作成した昭和三十二年一月付「鑑定書」によると、亜ひ酸が毎日連続して経口摂取される場合の蓄積作用による害毒という問題は科学上の難問題ではあるけれども日本薬局方所定の最小常用量なるものはこの毎日連続摂取という要素を(連用期間を大幅に見て)考慮した上で定められたものであることが明白である。しかも一方乳児用調製粉乳が毎日連続して大量摂取される期間は、長くても、出生直後から人工栄養乳児の離乳完了期までに過ぎないことも経験法則上明らかである。そうすると、以上の最小常用量を基準にとりこれから算出された亜ひ酸無害量から粉乳無害量を割り出すに際し特に毎日連続摂取という要素について考慮する必要はないといわなければなるまい。

6 結論

以上1から5までにおいて明白となつたことがらと亜ひ酸無害量が別表第七記載の分量未満であることと乳児用調製粉乳の摂取量が別表第七記載のとおりであることとを照らし合わせるならば、乳児用調製粉乳をミルクとして飲用する際これに加えられる砂糖または滋養糖等――かかる添加物の量がせいぜい一日三十グラムに過ぎないことは領置した「ドライミルク空かん」(昭和三十一年押第四十六号の百四十五)によつて明らかである。――の中に希少ながら亜ひ酸が含有されているものと想定しても、乳児用調製粉乳中の亜ひ酸含有率が重量比で百万分の〇・三未満であるときにはその飲用者が亜ひ酸による傷害を受ける危険性が全くない(すなわち粉乳無害量は百万分の〇・三未満である)といわなければならない。そうすると、本件工場で製造された乳児用調製粉乳の内本件粉乳以外のもの(すなわちその製造工程で原料牛乳に添加されるものの中に松野製剤が入つていなかつたもの)はすべて、これを飲用しても飲用者が亜ひ酸による傷害を受けるかも知れないという危険性が全然ないということになる。

第三第二りん酸ソーダの発注における過失

一  問題の所在

本件工場で百万分の〇・三(重量比)以上の亜ひ酸を含有する乳児用調製粉乳が作り出されたのは、この乳児用調製粉乳すなわち本件粉乳の製造の際原料牛乳に添加された安定剤が四・二パーセントないし六・三パーセント(重量比)のひ素を含有する松野製剤であつたことに原因があるのでありそれ以外には原因はないということは既に明白である。そして松野製剤が本件工場に納入されたのは、本件工場が協和に対して第二りん酸ソーダを発注しこの注文に対応して協和から本件工場に納入したものであることも前述のとおりである。そこでこの第二りん酸ソーダの発注において本件工場の従業員に、乳児用調製粉乳の製造業者としては乳児用調製粉乳における亜ひ酸含有率が百万分の〇・三以上にならないように注意をして原料牛乳への添加物の注文をしなければならない注意義務(これは前述の亜ひ酸混入防止義務の一態様である。)に欠けるところがあつたといえるかどうかの問題がここで取り上げられている「第二りん酸ソーダの発注における過失」の問題である。ところでこの過失を論ずる際には、つぎの諸点が検討されなければならない。

1 乳児用調製粉乳における亜ひ酸含有率を重量比で百万分の〇・三未満にとどめるためには、その製造の際原料牛乳に添加される安定剤におけるひ素含有率をどれだけ以下にとどめて置かなければならないかという点

2 乳児用調製粉乳の製造に際し原料牛乳に第二りん酸ソーダを添加することが食品衛生法上禁止されていないかということがらが、亜ひ酸混入防止義務違反という過失の有無を判断するについて関係があるかどうかという点

3 第二りん酸ソーダの発注時における客観的背景

(一) 昭和三十年当時において「第二りん酸ソーダ」という名称で現実に世間に出まわつていた薬剤はどのようなものであつたかという点

(二) 昭和三十年当時において、前記1の「安定剤におけるひ素含有率」をこえる分量のひ素を含有するものが「第二りん酸ソーダ」という名称で取引されることが――現在または近い将来において――あるかも知れないというおそれがあつたかどうかという点

(三) 協和が信用に値する商店であつたかどうかという点

4 松野製剤が「第二りん酸ソーダ」という範ちゆうに属するといえるものであつたかどうかという点及び松野製剤が本件工場に納入されたことと本件工場が第二りん酸ソーダを発注するときにとるべき処置をしなかつたとしてもこのこととが法律上の因果関係で結び付けられているといえるかどうかという点

二  安定剤無害量

本件工場では乳児用調製粉乳の製造に際し、製品百六十五キログラムを作り上げるのに百グラム位の安定剤を原料牛乳に添加しており又その際安定剤以外の添加物も原料牛乳に添加されていたことは前記第一の二の2のとおりである。しかし原料牛乳と安定剤以外の添加物との中にはひ素が存在していなかつたと考えられるし又乳児用調製粉乳の製造に際しその工程中でひ素が製品の中に入り込む余地は――安定剤の使用以外には――なかつたと考えられるのであつて、このことは前記第一で明らかにされたところに照らして明白である。そうすると乳児用調製粉乳における亜ひ酸含有率を重量比で百万分の〇・三未満にとどめるためには、その製造の際原料牛乳に添加される安定剤におけるひ素含有率をせいぜい重量比で〇・〇三パーセント以下にとどめて置けばよいことが計算上明白である。

三  食品衛生法と第二りん酸ソーダ添加との関係

食品衛生法には「人の健康を害う虞のない場合として厚生大臣が定める場合を除いては、食品の添加物として用いることを目的とする化学的合成品並びにこれを含む製剤はこれを使用してはならない。」という趣旨の規定(第六条)がある。そして昭和三十年当時においては乳児用調製粉乳を含む乳製品の製造をする際原料牛乳に第二りん酸ソーダを添加することについて特別の処置が全然なかつたのである。そうすると乳児用調製粉乳の製造の際本件工場で第二りん酸ソーダを安定剤として原料牛乳に添加したことはこの食品衛生法の規定に反するものではあるまいかという問題がある。しかしこの事件では食品衛生法違反という点は訴因になつていないのである。従つてここでは第二りん酸ソーダの添加という問題は、食品製造業者はその製造にかかる食品の中に――この食品の摂取により摂取者が当該食品中に含有されている亜ひ酸のため傷害を受けることのないようにするため――亜ひ酸が多量に混入しないよう注意しなければならないという観点から取り上げられているのであり、食品製造業者は食品の製造に際し食品衛生法の規定を守らなければならないということとは直接の関連性がない。よつてこの事件では第二りん酸ソーダの添加ということが食品衛生法に違反するかどうかを検討して見てもはじまらない。けだし第二りん酸ソーダの添加が食品衛生法に反するとしてもその際以上の亜ひ酸混入防止義務に欠けるところがなければこの事件で被告人達の罪責を問うことはできないし、又第二りん酸ソーダの添加が食品衛生法に反しないとしてもその際この注意義務に欠けるところがあるならばこの事件で被告人達の過失を取り上げなければならないからである。

四  第二りん酸ソーダの発注時における客観的背景

1 「第二りん酸ソーダ」という名称で現実に世間に出まわつていた薬剤

昭和三十一年十一月十四日付「第五回公判調書」の内証人横山俊男の供述を録取した部分と昭和三十二年十月三十日付「証人金山信喜尋問調書」と昭和三十二年十一月二十七日付「証人霜永忠平尋問調書」と昭和三十二年十一月二十五日付「証人上野真一尋問調書」と昭和三十二年十月二十三日付「証人岡江義一郎尋問調書」と昭和三十二年十一月二十日付「証人竹俣外雄尋問調書」と昭和三十二年十一月二日付「証人兵藤二郎尋問調書」と昭和三十二年十一月二日付「証人佐藤哲夫尋問調書」と昭和三十二年十二月八日付「証人弓削俊暢尋問調書」と昭和三十三年三月十九日付「証人田村正尋問調書」と昭和三十三年三月十五日付「証人新川正明尋問調書」と昭和三十三年四月二十五日付「証人水木義治尋問調書」と昭和三十三年七月四日付「鑑定人、証人尋問調書」の内証人住繁蔵の供述を録取した部分と昭和三十三年九月十日付「証人尋問調書」の内証人草薙碩夫の供述を録取したものと昭和三十三年八月二十三日付「証人尋問調書」の内証人犬飼信の供述を録取したものと昭和三十三年八月二十三日付「証人尋問調書」の内証人上野真一の供述を録取したものと昭和三十四年九月八日付「証人白子敏尋問調書」と昭和三十四年九月十五日付「証人森正典尋問調書」と昭和三十五年五月二十日付「証人藤野七郎尋問調書」と昭和三十五年六月八日付「証人山崎吉男尋問調書」と昭和三十五年九月十四日付「証人藤野七郎尋問調書」と領置した販売原簿写真二枚(昭和三十一年押第四十六号の三十)と領置した「売掛金補助簿」(同号の三十一)と領置した「買掛金原簿」(同号の三十二)と領置した「仕入帳簿」(同号の三十三)と領置した「挨拶状(同号の四十)と領置した「分析成績通知書」の写真(同号の四十一)と領置した「分析成績書」の写真(同号の四十二)と領置した「無機薬新報第二四九号」(同号の四十四)と領置した「燐酸ソーダ規格改正専門委員会議事録」(同号の四十五)と領置した「燐酸及燐酸ソーダ中のArsenieの定量」(同号の百九)とを総合すると、つぎの事実が明らかである。

(一) 第二りん酸ソーダの製造方法

昭和三十年までの時代には薬品販売業者間で「りん酸ソーダ」という名称の下に取引されていた薬剤は――日本軽金属株式会社清水工場で前記第一の二の5の(一)の不純物除去装置により取り出された不純物がそのまま、前記第一の二の5のとおりの経路と日本軽金属株式会社清水工場から松林工業薬品株式会社の手を経て南静化学工業株式会社の手に渡り同会社から洗かん剤として出荷されたという経路とにおいて薬品業界に出現したことを除外すれば――すべて、りん酸をソーダ灰等で中和させるという方法で製造されたものに限られていた。(もつとも昭和三十二年十一月十五日付「証人伊藤恭三尋問調書」によると新日本金属化学株式会社でふつ化セリウムを製造する際モナザイトサンドをか性ソーダと共に加熱するときに生ずる物質を濃縮して「第三りん酸ソーダ」を作り出していたことが明らかであるが、これは薬品販売業者の手に渡つたことは全然なくその全部が新日本金属化学株式会社で自家消費されてしまつたことがこの「証人伊藤恭三尋問調書」によつて明白である。)

(二) りん酸の製造方法

昭和三十年までの時代には薬品業界ことにりん酸ソーダ製造者の手に渡つていたりん酸は――三光化学工業株式会社でメチルブロマイドの製造の際に亜りん酸を除去するためこれを硝酸ソーダで酸化したときに生成する残留液をろ過してりん酸を作り出した以外には(なお同会社ではこのりん酸をすべてこれにか性ソーダを加えて「第三りん酸ソーダ」とした上でこれを、洗かん剤用と用途を限定し、特定の数社に出荷しただけである。)――すべて、つぎのとおりの方法で製造されたものに限られていた。

(1) 乾式りん酸

りん鉱石を電気炉でコークス還元して黄りんを作りこの黄りんを燃焼させて無水りん酸とし、更にこの無水りん酸に水を吸出させてりん酸を製造する。

(2) 湿式りん酸

りん鉱石に硫酸を加えこれによつて生成される石こうを遊離してりん酸を製造する。この方法で製造されるりん酸は乾式りん酸に比して不純物混入率が高いのであるが、この湿式りん酸の製造方法にはつぎの二種がある。

イ 接触式硫酸による方法

ロ 鉛室式硫酸を用いる方法。ただしこの方法で作られるりん酸は、接触式硫酸による方法に比して不純物混入率が高いのであるが、これが現実に第二りん酸ソーダの製造原料として用いられたことは昭和三十年までの時代にあつたと断定することはできない。

(三) 第二りん酸ソーダの中に含有されていたひ素

無機物であると有機物であるとを問わず自然界に存在する物質はそのほとんどすべてがひ素を含有しており、従つて第二りん酸ソーダの原材料となるりん鉱石とか硫化鉱とかの中にもひ素が含有されている。このひ素がりん酸とかりん酸ソーダとかの中の不純物の一部として含有されることになるわけである。しからば昭和三十年までの時代に現実に「第二りん酸ソーダ」という名称の下に取引されていたものはどの程度のひ素含有率のものであつたかというと、最も多いものでも重量比で〇・〇二五パーセントにとどまり、〇・三パーセント以上(重量比)の「りん酸ソーダ」なるものは薬品業界に出現したことが――前記(一)と同(二)とに述べた例外を除いては――全然なかつたのである。

(四) 第二りん酸ソーダの概念

化学上の概念としては「第二りん酸ソーダ」なるものはNa2HPO47H2OまたはNa2HPO412H2Oを意味するものであるが、取引上の概念としては「第二りん酸ソーダ」なるものはその大部分が化学上の意味の第二りん酸ソーダから成りこれにごく僅かな不純物が混入しているものを意味する。そしてこのとおりのもの以外の物質が第二りん酸ソーダの売買において売主から買主へ納入されたことは、売主側に詐欺とか誤解とかがあつた場合以外には、これまで全然なかつたのである。

2 昭和三十年当時においてひ素含有率が重量比で〇・〇三パーセント以上のものが「第二りん酸ソーダ」という名称で取引されることがあるかも知れないという危険性の有無

前記1冒頭に掲げた各証拠によると、昭和三十年当時において第二りん酸ソーダとりん酸との製造方法として考えられていたものは前記の製法だけに限られこれ以外の製造方法が近い将来出現しかつこれによつて作られるりん酸や第二りん酸ソーダが日本の薬品業界に(近い将来)出まわるかも知れないというようなことはいかなる者といえどもこれを考えても予想してもいなかつたし又予想できることでもなかつた(ことに日本軽金属株式会社清水工場で取り出された前記第一の二の5の不純物が出現してから後でも、これを原料としてりん酸や第二りん酸ソーダを作り出そうというようなことは実行不可能な計画としては全然考えられていなかつた。)のみならず前記の方法で作られるりん酸を原料としこれをソーダ灰等で中和させるという製法によつて作り出される第二りん酸ソーダである以上最悪の方法(すなわち鉛室式硫酸を用いて作られた湿式りん酸を原料とする方法)を前提として最悪の条件を考えてもひ素含有率が重量比で〇・〇三パーセント未満のものができあがるに過ぎないのであり従つて「ひ素含有率が重量比で〇・〇三パーセント以上の第二りん酸ソーダが出現するかも知れない。」というような不安感ないし危険感はいかなる者といえどもこれを抱いてはいなかつた(けだし、前記1の(一)と同(二)とにおいて述べた例外的事実はごく一部の関係者がこのことを知つていたにとどまり、この事実を知らないということの方がむしろ当然であつたのみならずこの例外的事件において取引されていたものはすべて前記1の(四)の意味における第二りん酸ソーダに該当しないものであつた)ことが明白である。そうすると昭和三十年当時においては第二りん酸ソーダを発注する場合、受注者が既に仕入れまたはこれから仕入れる第二りん酸ソーダの中にひ素含有率が重量比で〇・〇三パーセント以上のものがあるかも知れず従つて又このような(ひ素含有率の高い)第二りん酸ソーダがこの注文に対応して受注者から発注者に納入されて来るかも知れないという可能性も危険性も全然なかつたといわなければなるまい。しかもこのことは第二りん酸ソーダが、それが日本で製造されているものであれば、どの製造者によつて製造されたものであつてもその全部についていえることである。よつて昭和三十年本件工場から協和に対して第二りん酸ソーダを注文した際「ひ素含有率が重量比で〇・〇三パーセント以上のものが本件工場に納入されることはないであろうか。」というけ念を抱くことはき憂に過ぎず、合理的感覚によつて支持される危険性としてはとても考えられないところであつたといわざるをえない。考えられるのは、この注文を受けた者が詐欺とか誤解とかに基き第二りん酸ソーダでないもの(すなわち前記1の(四)の「取引上の概念としての第二りん酸ソーダ」の範ちゆうに属しないもの)に「第二りん酸ソーダ」という名称を付けこれを納入することがあるかも知れないということに過ぎない。そこでこの事件では、本件工場から第二りん酸ソーダの注文を受けた協和が信用の置ける商店であつたかどうかということが問題になりうるわけである。

3 協和の信用度

昭和三十三年十二月一日付「第十四回公判調書」の内証人今津定の供述を録取した部分と昭和三十四年三月二十日付「第二十回公判調書」の内証人今津定の供述を録取した部分と昭和三十四年六月二十五日付「第二十九回公判調書」の内証人磯部克己の供述を録取した部分と昭和三十四年八月二十九日付「第三十二回公判調書」の内証人蒔田洋美の供述を録取した部分と昭和三十四年九月三日付「証人中山栄尋問調書」と昭和三十六年十月十二日付「第四十五回公判調書」の内証人岩田浩一の供述を録取した部分と領置した名刺(昭和三十一年押第四十六号の七十八)とによると、つぎの事実が明らかである。

協和は、昭和十六年ごろから工業薬品・試薬及び化学製品等の小売販売業を営んでいた個人商店が昭和二十五年一月ごろ株式会社になつたものであり、古くから第一製薬株式会社・和光純薬工業株式会社・関東化学株式会社及び石津製薬株式会社等の業界著名会社の特約取扱店であり又徳島大学・徳島県庁・徳島新聞社大塚製薬株式会社徳島工場・東邦レーヨン株式会社徳島工場及び日本肥料工業株式会社徳島工場等に薬品類を納入していたし更に試薬類の取扱高(販売高)において徳島県下では有数の地位を占めていた。そして協和が納入した薬品類でクレームのあつたというようなことはこれまで全く報告されていなかつたのである。

五  注意義務の存否

以上のとおりの客観的背景の下で本件工場が協和から第二りん酸ソーダを購入しようとする際には「第二りん酸ソーダを納入してもらいたい。」といつて注文する以上、それに付け加えて(人体に有害な粗悪品の入荷を防止するため)「局方品とか試薬品等とかの薬剤すなわち成分規格の明らかな薬剤を指定して注文するとか、製造元・製造過程及び仕入経路等を調査するとか、成分の分析素を添付させたりするとかの処置をとらなければならないという業務上の注意義務が注文者側にあるとは――こと亜ひ酸による傷害という点に関する限り――とうてい考えることのできないところである。すなわち、前記のとおりの客観的背景の下で以上の(検察官主張のとおりの)処置が全く行われなくてもただ「第二りん酸ソーダを納入してもらいたい。」という意思が正確に売主側に伝達されれば、ひ素含有率が重量比で〇・〇三パーセント以上の薬剤がこの注文に対応して納入されることは全く予期されえないのであり、このようにひ素含有率の高い薬剤がこの注文に基いて納入されたときにはそれは――注文者側から見れば――全く不測のないし偶然の事故であるに過ぎず従つてこの注文につき注文者側に落度があつたことによるものとはいえない道理である。けだし食品製造業者が食品添加物とか原材料とかを発注する場合といえども、全く不測の(すなわちいかなる者といえども、予期することのできない、従つて危険性を全然感じていない)事故の発生しないことまでもあらかじめおもんばかつて行動しなければならないという負担を肯定することは余りにも不合理であるからである。

六  違反行為(過失)の存否

注意義務の認められないところに過失のないことはいうまでもない道理である。従つてこの事件で「第二りん酸ソーダの発注における過失」の問題はこれ以上考察する要をみないというべきである。しかしながらこの事件の社会的重大性にかんがみると、本件工場が協和に対して第二りん酸ソーダを発注した際本件工場側に(検察官のいうような)「成分規格の明らかな薬剤を指定して注文するとかの」処置を全然とらなかつたという態度が認められるかどうかという点に関し一言して置くこともあながち無用のことではあるまい。従つてここで説示していることがらは「第二りん酸ソーダを発注するには成分規格の明らかな薬剤を指定して注文しなければならない。」という注意義務があるということを仮定的に容認するという立場に立つてのものであることを一応断つて置く。ところで乳児用調製粉乳を製造する際原料牛乳への添加物として使用するために第二りん酸ソーダを購入するときには――第二りん酸ソーダの中にはひ素含有率が高いものがある場合もあるから――成分規格の明らかなものを指定して注文するのが良識ある食品製造業者のなすべきことであるとしても、この場合にはせいぜい「試薬一級品を納入してもらいたい。」という指定をして発注すれば足りるのであつてそれ以上更に進んで製造元・製造過程及び仕入経路等を調査したり成分の分析表の添付を求めたりすることまたは(試薬一級品ではなく)局方品を指定することまでもが法律上の注意義務として要求されるべき筋合いではない。ところで、本件工場が協和から安定剤を購入するときその注文に際し「試薬一級品を納入してもらいたい。」という指定が行われなかつた――すなわち以上の注意義務に対する違反行為(不作為)があつた――ということは以下の理由によりこれを断定することができない。

1 松野製剤が昭和三十年四月十三日ごろと同年同月三十日ごろと同年七月二十六日ごろとの三回にわたり協和から本件工場に納入されたものであることは前記のとおりであり、昭和三十三年十二月一日付「第十四回公判調書」の内証人今津定の供述を録取した部分と昭和三十四年三月十九日付「第二十四回供述調書」の内証人井上邦夫の供述を録取した部分とによると松野製剤が納入されたのはこの納入の数日前に本件工場事務課資材係から協和に対して電話または注文書送付により「第二りん酸ソーダを納入してもらいたい。」という旨の注文があつたからであるがこの注文に際し本件工場ではそれ以外の指示ないし条件を特に付けていなかつたことが明らかである。

2 しかし本件工場が協和に対して第二りん酸ソーダを発注し薬剤を購入したのは、以上の松野製剤の納入のときの注文をも含めて、別表第四記載のとおりであつたことは前記のとおりである。そうすると、松野製剤の納入のときの「第二りん酸ソーダを納入してもらいたい。」という注文がどのような具体的内容を持つものであつたかという問題は、昭和二十八年四月十一日ごろの(すなわち第一回目の)第二りん酸ソーダ七十キログラムの購入の際の注文がどのような内容のものであつたかという点を考察しなければ解決することができない。すなわち、このように同一当事者間でしばしば同種物件の売買が行われしかもこの売買代金の単価の変動が別表第四記載のとおりにとどまつている場合には、第二回以後の注文においても――特別の指示ないし条件がこれに付けられていない限り――第一回の注文の際にこれに付けられたとおりの指示(成分規格に関する指定)が付けられていると考えるのが至当だからである。

3 そこで第一回の注文すなわち昭和二十八年四月十一日ごろの売買に際し本件工場が協和に対してした第二りん酸ソーダの発注の具体的内容がどのようなものであつたかという点を考えて見るに、この点についての証拠としては協和の従業員(代表者も含む。)と本件工場の従業員との各供述を録取した書面があり、これ以外にはこの点についての直接証拠はないし又この点についての間接証拠も以下記載のことがらに限られている。そして以上の直接証拠の内協和の従業員(代表者も含む。)の各供述を録取した書面と協和が前記のとおりこの注文当時においては信用の置ける商店であつたことと協和から本件工場に納入された第二りん酸ソーダが前記のとおりすべて無規格品であつたこととを照らし合わせて見ると、昭和二十八年四月十一日ごろ本件工場が協和に対して第二りん酸ソーダを発注したときには「試薬一級品を納入してもらいたい。」というような指示を付けていなかつたのではあるまいかという疑問の念を抱かざるをえないけれども、これはまだ疑問の段階に過ぎずこれを確定的な心証まで固めることはできないのであり、本件工場の従業員の各供述を録取した書面(前記直接証拠)と本件工場が協和に対して第二りん酸ソーダを発注したときに定められた売買代金が前記のとおり一キログラム金百七十円以上であつたこととこの単価すなわち一キログラム金百七十円以上という価格が木箱入り第二りん酸ソーダの価格としては昭和二十八年から昭和三十年までの時代では無規格品の売買代金とすれば一般の小売価格に比し著しく高価過ぎむしろ試薬一級品の木箱入り第二りん酸ソーダの小売価格――これよりも多少低れんではあるが――に近いものであつたこと(このことは、昭和三十一年八月二十五日付「証人大津政雄尋問調書」と昭和三十一年十一月十四日付「第五回公判調書」の内証人富田精一の供述を録取した部分と昭和三十二年十一月二日付「証人兵藤二郎尋問調書」と昭和三十二年十二月六日付「証人沢辺良一尋問調書」と昭和三十三年三月十五日付「証人伊東博之尋問調書」と昭和三十四年九月八日付「証人白子敏尋問調書」と昭和三十四年九月十五日付「証人森正典尋問調書」と昭和三十五年六月八日付「証人宇津勝三郎尋問調書」とによつて明白である。と協和から本件工場に納入された第二りん酸ソーダが前記のとおりすべて純度(すなわちNa2HPO47H2OまたはNa2HPO412H2Oの含有率)が九十九パーセント前後ひ素含有率〇・〇〇〇五パーセント前後のもので実質的には局方品や試薬品に比しても全くそん色のないものであつたことを照らし合わせて見ると、昭和二十八年四月十一日ごろ本件工場が協和に対して第二りん酸ソーダを発注したときには「本来は局方品の第二りん酸ソーダを納入してもらいたいのであるが、局方品としてはびん入りのものしか協和では取り扱つていないのであるなら、びん入りのものでは差しつかえがあるから木箱入りの試薬一級品を納入してもらいたい。」という内容の注文が行われたのではあるまいかという合理的疑問が生じ、これをふつしよくすることのできる資料はない。

4 のみならず、本件工場と協和との間における第二りん酸ソーダの取引のように同一当事者間で同種物件の売買がしばしば行われしかもその売買代金の単価が前記のとおり第四回目の売買以降は全然変動していない場合に最初の売買を含めて十度目(かつ最初の売買の行われたときから二年後)以降の売買における注文は、特別の指示ないし条件が付けられていない限り、客観的には(すなわち注文者個人の主観的意思がどうであろうとも)これまで九回(二年間)にわたつて納入されていたものと同一品質のものの納入を求めているものと見るのが至当である。従つて昭和三十年四月十三日ごろ以降に行われた本件工場から協和に対する第二りん酸ソーダの発注は(注文者の主観的内容の問題としてではなく注文行為という客観的事実として)「純度九十九パーセント前後ひ素含有率〇・〇〇〇五パーセント前後の第二りん酸ソーダを納入してもらいたい。」という成分規格に関する指定の付いているものであつたと考えることもできるのではあるまいか。

5 そうすると、この事件では本件工場が協和から安定剤を購入するときその注文に際し注意義務違反行為があつたということについては結局証明がないことになるから、この過失の存否という面においても検察官の主張は失当といわざるをえない。

七  ところで、松野製剤が特殊化合物であり従つて「第二りん酸ソーダ」という名称をこれに付けることのできない物質すなわちいかなる意味においても「第二りん酸ソーダ」という範ちゆうに属しない物質であるといわざるをえないこと、それにもかかわらず本件工場から第二りん酸ソーダの発注を受けた協和からこれに対応にして松野製剤が本件工場に納入された経緯は既に述べたとおりであり、協和においてさえも松野製剤が以上の特殊化合物である(すなわち第二りん酸ソーダではない)ことを全然知らず「協和から本件工場に納入したものはすべて正常な第二りん酸ソーダである。」と信じていたことも前述のとおりである。従つてこの事件では、本件工場が協和に第二りん酸ソーダを発注する際注文物と異るものの納入を防止するため注文物の表示を明確にし本件工場側の意思(すなわち「第二りん酸ソーダ以外のものを納入しないでもらいたい。」という意思)が協和に間違いなく届くようにしなければならないという注意義務に欠ける点があつたかどうかということは問題にならないことがらである。

八  以上松野製剤が本件工場に入荷されたことと本件工場が第二りん酸ソーダを発注する際における過失とについて、注意義務の存否と注意義務違反行為の存否とにつき検討を加えて来たがこれがいずれも積極的結論をえられざるに至つたわけである。そこでこの事件で残された問題はつぎの松野製剤受領後における過失という点に限られる。

第四松野製剤受領後における過失

一  本件粉乳に重量比で百万分の〇・三以上の亜ひ酸が含有されるに至つたのは、本件工場で本件粉乳の製造の際原料牛乳に添加された安定剤が松野製剤であつたことに――そしてこのことのみに――その原因があるということ及びこの松野製剤は本件工場が「第二りん酸ソーダを納入してもらいたい。」という注文をしたのに対応して納入されたものであるが実体は第二りん酸ソーダではなく重量比で〇・〇三パーセント以上のひ素を含有する特殊化合物であつたことは前述のとおりである。そこで「第二りん酸ソーダを納入してもらいたい。」という注文に応じて納入されて来た物件の包装を解きその内容物たる薬剤を乳児用調製粉乳の製造のための原料牛乳に添加するときにおいて乳児用調製粉乳製造業者としては、乳児用調製粉乳中の亜ひ酸含有量が重量比で百万分の〇・三以上にならないようにつぎのとおりの(検察官主張の)検査ないし確認をしなければならないという注意義務(これは前記第二の三の亜ひ酸混入防止義務の一態様である。)を負担しているかどうかという問題及び本件工場においてこの注意義務に対する違反行為が行われたかどうかという問題が、ここで取り上げている「松野製剤受領後における過失」ということである。

1 納入された薬剤の色・結晶状態及びきよう雑物の有無を十分検査し、ことに成分規格の明らかでないものについては厳密な化学的検査を行い、この薬剤が無害であることを確認すること、

2 この事件においては以上の無害確認のためにとるべき処置として、つぎのとおりの方法が考えられる。

(一) 納入された薬剤が第二りん酸ソーダに間違いないかどうかということを、外観(色・結晶状態等)の点検とか、場合によつては厳重な化学検査によつて、確認すること(同一性確認義務)

(二) 納入された薬剤のひ素含有量が重量比で〇・〇三パーセント未満であることを確認すること(無害検査義務)――これにはつぎのとおりの検査方法がある。

(1) 納入された薬剤の外観―色・結晶状態及びきよう雑物の有無等――の点検(外観点検による無害検査義務)

(2) 納入された薬剤を、ことにこれが成分規格の明らかでないときにはこの薬剤を、化学的方法により試験すること(化学試験による無害検査義務)

二  ところでここで問題にしている以上の注意義務ないし過失は、本件工場から協和に対する第二りん酸ソーダの発注に対応して本件工場に薬剤が納入されたときの全部(合計十三回)ないし全体における注意義務ないし過失ではなく、その内松野製剤が納入されたときのみ(合計三回)における注意義務ないし過失だけに過ぎないことはいうを俟たないところである。そしてこの合計三回の時点における注意義務ないし過失を検討するには、つぎのとおりの客観的背景を考慮に入れて置くことが必要である。

1 本件工場が協和に対して「第二りん酸ソーダを納入してもらいたい。」という注文をしこれに対応して協和から薬剤が本件工場に納入されたのは全部で、その期間が昭和二十八年四月十一日ごろから昭和三十年七月二十六日ごろまででありその回数が十三回であるところ、その間売買代金の単価の変動は昭和二十九年十月に行われた第四回目の取引以降は全然なかつたこと

2 松野製剤が納入されたのは三回ともすべて昭和三十年四月十三日ごろ以降であり、その前(すなわち昭和二十八年四月十一日ごろから昭和三十年四月十二日ごろまでの間)において――本件工場からの以上の注文に対応して――協和から本件工場に納入されたものはすべて正常な第二りん酸ソーダでありそのひ素含有率がいずれも〇・〇〇〇五パーセント前後(重量比)のものでありかつその数量が全部で九百四十キログラムでありこの九百四十キログラムの薬剤(以下「正常薬剤」という。)が九回にわたつて納入されていたものであること

3 売主たる協和が前記のとおり信用の置ける商人であつたこと

三 以上の客観的背景の下に松野製剤が本件工場に納入されて来たのであるが、こういう状態下に納入されて来た薬剤については(たとえこの薬剤が食品添加物としてこれを使用するために発注され、又この薬剤が食品添加物として用いられるということを売主とか当該薬剤の製造者とかが了解していないとしても)「それがこれまで納入されていた正常薬剤(すなわちこれを前記の割合で原料牛乳に添加してもこの原料牛乳から製造される乳児用調製粉乳はひ素中毒に関する限り無害のもの)と同一品質のものである。」という信頼感が生ずるのが当然であるといわざるをえない。そしてこの信頼感なるものは一定の法律的価値を備えているものであつて、この信頼感を動揺させるに足りる特別の事情が存在しない限りこの信頼感に従つて行動することが是認されるといわなければなるまい。すなわちかような場合には本件工場としては納入されて来た松野製剤の外観を点検しこの点検により「この松野製剤がこれまで既に納入された(又使用されてしまつた)正常薬剤の外観と異つており、この差異が以上両者の間に品質上の差異があるかも知れないという疑問を生ぜしめる程度のものである。」ということが判明しない以上は、その上更に進んで松野製剤につき返品とか化学検査による同一性確認とか化学試験による無害検査とかの処置をとらなければならないという義務の履行までも要求されるべき筋合いではない。換言すると義務の履行(返品・化学検査ないし化学試験の施行)は、以上の外観点検によつて、「松野製剤と正常薬剤との間に外観上の差異があり又この外観上の差異がこの両者間に品質上の差異があるかも知れないという疑問を生ぜしめる程度の重要性を持つ徴表である。」ということが判明した場合においてのみ要求されるに過ぎないと解するのが相当である。そこで以下松野製剤と正常薬剤との間にかかる外観上の差異があつたかどうかについて検討するが、その前にまずつぎのことを一言して置く。

1 本件工場では松野製剤を乳児用調製粉乳の原料牛乳に添加する前に以上の外観点検が施行されていなかつたとはいえないこと

本件工場では松野製剤を安定剤として原料牛乳千キログラムに対して百グラム位という割合いで乳児用調製粉乳の原料牛乳に添加していたが、その際松野製剤は木箱から取り出されて計量された摂氏八十度の蒸留水の入つている搾乳かんの中に投入されこうして作られた安定剤溶液が荒煮がまの中の原料牛乳に添加されていたことは前記のとおりである。そうすると、これらの段階において松野製剤は少量ずつ区分されて本件工場の従業員の眼にさらされていたものであるから、ここで以上の外観点検が行われていなかつたとはいえない。

2 松野製剤が納入されたとき本件工場から協和に対して「納入されたものは第二りん酸ソーダ、しかも正常薬剤と同じ品質ないし成分規格のものに間違いないかどうか。」と念を押したか否かということは、この事件では全く考慮の余地がないこと

協和としては松野製剤を本件工場に納入したときには、納入したものは第二りん酸ソーダでありしかもその品質ないし成分規格が正常薬剤のそれと同じものであると信じていたのであつて、このことは既に述べたとおりである。従つて本件工場から協和に対してこの点を重ねて念を押すと否とにかかわらず、結果は同じであつたと考えて妨げない。そうするとかかる念を押したかどうかという点についてこの事件では判断を加える必要性がないといわなければなるまい。

3 本件工場で正常薬剤が納入されたときにそのひ素含有率が重量比で〇・〇三パーセント未満である点についての化学試験をしたかどうかということは、この事件では考慮しなくても良いこと

薬剤ことに食品添加物として初めて使用する薬剤を継続的に購入使用する場合、売主ないしこの薬剤の製造者においてこの薬剤が食品添加物として用いられるということを了解していないときには注文に基き納入されて来た薬剤について――少くとも第一回に納入される物件については――購入者側としてはその純度と有害物(ひ素等)の含有率との化学検査を施行しなければならないとしても、この事件において本件工場が第一回目の納入物件(すなわち正常薬剤)についてこの化学検査をしたかどうかという点はこれを論ずる必要がない。けだし正常薬剤は以上のような化学検査が加えられてもこれを通過するだけの品質ないし成分規格を備えているものであつたことは前記のとおりであるから、この化学検査が行われたか否かということは松野製剤の入荷・使用という結果の発生に対して何らの影響力を持つていないからである。あるいは「正常薬剤が使用されていた段階においては過失にあるのが結果が生じなかつたというだけのことの連続であるに過ぎず、この連続的かつ潜在的な過失が松野製剤の入荷・使用の段階で顕現したのである。」との言を立てる者があるかも知れない。そしてこの事件で昭和二十八年四月に納入された第二りん酸ソーダの使用という段階ではまさにそのとおりであろう。しかし遅くとも昭和三十年四月以降の段階においてはこの言はだ当ではあるまい。けだし継続的取引における納入物件の品質の担保は(過去に納入されたものに対する化学検査の結果という要素がなくても)過去における実績――この事件においては、期間にして約二年間納入回数にして九回数量にして九百四十キログラムという薬剤を食品添加物として使用しこれによつて約一万五千キログラムの乳児用調製粉乳が製造されたがこれによつて傷害事故の発生したというような報告は全然なかつた(このことは前記の事実によつて明白である。)という実績――によつても形成されるのであつて、この場合に過去に納入使用されていた物件の品質を化学的に検査しなかつたということはこの品質の担保力の形成を妨げたりまたはこれを弱体化させたりするものではないからである。

四  松野製剤の外装

松野製剤と正常薬剤とはいずれも木箱入りという形で本件工場に納入されて来たものであつてその容量が別表第四記載のとおりであつたことは前述した。そしてこの木箱はすべて深さに比し長さの長い箱すなわちいわゆるりんご箱のような箱で、これに「第二りん酸ソーダ」という内容物の表示が付されていて容量と会社名の表示と商標の表示との点以外には何らの差異もなかつたものであつたことが、昭和三十一年十一月十四日付「第五回公判調書」の内証人宮田精一の供述を録取した部分と昭和三十三年四月十五日付「証人大倉親英尋問調書」と昭和三十三年十二月一日付「第十四回公判調書」の内証人今津定の供述を録取した部分と昭和三十四年一月二十三日付「第十七回公判調書」の内証人松野隆信の供述を録取した部分と領置した木箱(昭和三十一年押第四十六号の一)と領置した「森永ドライミルク中毒事件」と題する写真帳(同号の百十五)とによつて明白である。そこで外装における外観上の差異としてはまず会社名と商標との表示(以下「会社表示」という。)について問題がある。

1 会社表示における差異

(一) 差異の存否

前掲各証拠によると、松野製剤の入つていた箱にはすべて「松野製薬株式会社」という社名と松野製薬の商標とが刷り込んであつたことが明白である。そこで問題は正常薬剤の入つていた箱にはどのような会社表示が付けられてあつたかということである。ところで前掲各証拠によると、米山化学工業株式会社で製造された第二りん酸ソーダの入つている木箱には同社の社名及び同社の商標が刷り込まれてある木箱と同社から出荷する際には会社表示を全然付けずに積み出され、この無表示のままの木箱に後日「松野製薬株式会社」という社名及び松野製薬の商標が刷り込まれた上で薬品小売業者に納入されたものとの二種類があることが明白である。そして協和から本件工場に納入された正常薬剤の入れてあつた木箱がこの二種の内どれであつたか――すなわち松野製剤の入つていた木箱に付されてあつた会社表示と同一の会社表示が正常薬剤の入つていた木箱にも付されてあつたかどうか――という点は、この事件で当裁判所の手に集められて来た証拠だけでは、これを確定することができない。

(二) のみならず、もしこの会社表示における差異があつた(すなわち正常薬剤の入つていた木箱の全部または一部に、「松野製薬株式会社」という社名と松野製薬の商標とが付されてなく米山化学工業株式会社の社名及び同社の商標が刷り込まれてあつた)としても、この会社表示における差異の持つている意義は取るに足らないものといわざるをえないのであつてその理由はつぎのとおりである。

(1) 化学検査による同一性確認義務について

会社表示における外見上の差異が存在するということが、前記の信頼感を動揺させこの木箱の内容物が第二りん酸ソーダに間違いないかどうかという点に疑問を生ぜしめる程度の重要性を持つ徴表といえるであろうか。この問題が肯定されるためには、この木箱にはすべてその内容物が第二りん酸ソーダであるという表示が存在していたことは前記のとおりであるから、当該会社が表示と実体とが異るものの製造または発売をこれまでしばしばして来た―またはかかることを行うおそれのある――会社であるという事実と本件工場が当該会社はこのような会社である――または少くとも、このような会社であるかも知れない――ということを知つていたかまたは知らなかつたとすればこの不知という点において本件工場に過失があるということとが明らかにされなければならないと考えるのが相当である。ところがこの事件ではこのようなことがらが全然明らかにされていないのであるから、この会社表示における外見上の差異は以上の徴表たりえないのであり従つて本件工場に対して、当該木箱の内容物が第二りん酸ソーダに間違いないかどうかということを化学検査によつて確認しなければならないという注意義務の履行までも要求すべきものではないといわなければならない。

(2) 化学試験による無害検査義務について

会社表示における外見上の差異が存在するということが、前記の信頼感を動揺させこの木箱の内容物のひ素含有率が重量比で〇・〇三パーセント未満にとどまつているかどうかという点に疑問を生ぜしめる程度の重要性を持つ徴表といえるであろうか。この問題についてもつぎのことがらを考え合わせると当裁判所は、積極的結論を取らなければならないと断定することができないと考える。よつて本件工場に対し、当該木箱の内容物のひ素含有率について化学試験をしその無害性を確認しなければならないという注意義務の履行までも要求すべきものであるとするのは失当といわざるをえない。

イ 昭和三十年までの時代には、第二りん酸ソーダの量産方法としては乾式りん酸と湿式りん酸とを用いて作るという方法があるのみであり、これ以外の方法が近い将来に出現しこの方法により作られる第二りん酸ソーダが近い将来に薬品業界に出まわるということも考えられていなかつたこと

ロ 以上の製法による限りは最悪の条件を考えても、ひ素含有率が重量比で〇・〇三パーセント以上の第二りん酸ソーダが作り出されるというようなことは全くありえないところであつたこと

ハ 昭和三十年までの時代には、松野製剤以外には、ひ素含有率が重量比で〇・〇三パーセント以上のものが「第二りん酸ソーダ」という名称の下に薬品業界に出まわつたことがないのみならず近い将来このようなものが「第二りん酸ソーダ」という名称の下に薬品業界に現れて来るかも知れないという危険性もなかつたこと

ニ 従つて昭和三十年までの時代には「第二りん酸ソーダ」という名称の薬剤を受領するときにひ素含有率が重量比で〇・〇三パーセント以上のものが渡されているのではなかろうかというけ念を抱くことはき憂に過ぎず合理的感覚によつて支持される危険性としてはとても考えることのできないところであつたこと

ホ そこで第二りん酸ソーダにあつては、ひ素含有量に関する限り、製造元が異るということは薬剤の品質に差異を生ぜしめるものではなくどこの製造業者が製造したものでもひ素含有率が重量比で〇・〇三パーセント以上のものはないと考えられていたこと

ヘ 当該会社が以上の製法と異る方法によつて作られる第二りん酸ソーダ(しかもそのひ素含有率が一般市場に出まわつている――又通常の製法によつて作られる――第二りん酸ソーダのそれに比して高率であり、重量比で〇・〇三パーセント以上であるもの)の製造または発売をこれまでしばしばして来た――または、かかることを行うおそれのある――会社であるという事実と本件工場が当該会社はこのような会社である――または少くともこのような会社であるかも知れない――ということを知つていたかまたは知らなかつたとすればこの不知という点において本件工場に過失があるということとが全然明らかにされていないこと

ト 本件工場から協和に対する注文が「試薬一級品の第二りん酸ソーダを納入してもらいたい。」という趣旨の注文であつたか、それともこの第二りん酸ソーダの発注においてかかる指示をしなかつたものであるかという点が不明であるということ

チ 第二りん酸ソーダ(木箱入り)の代金として本件工場から協和に支払われた代金が、昭和三十年までの時代における木箱入り第二りん酸ソーダの代金としては一般の小売価格と対照すると、無規格品の代金としては著しく高価過ぎむしろ試薬一級品の代金に近いものであつたこと

2 容量における差異

松野製剤と正常薬剤との入れてあつた各木箱の容量が別表第四記載のとおりであつたことは前述した。ところで前掲各証拠によると、一般に薬剤を木箱に入れて取引する場合に製造元ないし発売元が同一会社でありかつ内容物たる薬剤が同種同品質のものであつても木箱の容量は必ずしも常に一定していないのであり取引先から注文された数量等の事情に基き適当に木箱(容器)が作られ従つて容量の異る木箱の用いられることがしばしばあることが明らかであり、このことと正常薬剤の入つていた木箱にも又松野製剤の入つていた木箱にもすべて「第二りん酸ソーダ」という表示が付けてあつたことと正常薬剤の入つていた木箱においてさえも別表第四記載のとおり容量の変動があつたこととを総合して考えて見ると、別表第四記載のとおりせいぜい三十五キログラムから五十キログラムまでの間の容量の変動があつたということは前記の信頼感を動揺させ容量四十キログラムないし五十キログラムの木箱の内容物が第二りん酸ソーダに間違いないかどうかという点やその品質が容量三十五キログラムの木箱の内容物(正常薬剤)の品質と異りそのひ素含有量が重量比で〇・〇三パーセント未満にとどまつているかどうかという点に疑問を生ぜしめる程度の重要性を持つ徴表とはいえない。よつてこれが第二りん酸ソーダに間違いないかどうかということを化学検査によつて確認したり又これが無害物であることすなわちそのひ素含有量が重量比で〇・〇三パーセント未満のものであることを化学試験によつて検査したりしなければならないという注意義務の履行までも本件工場に要求すべきものではないといわなければならない。

3 しかも以上のことがら全体を通観して考えて見ると、外装において会社表示と容量との二点がいずれも従前の外装と異つているとしてもこの内容物それ自体が従前納入されていた薬剤(正常薬剤)との間で外観上何らかの差異を持つていることが判明しない以上、本件工場として前記の信頼感に従つて行動することが是認されるため、前記の化学検査による同一性確認とか化学試験による無害検査とかをしなければならないという注意義務の履行を本件工場に要求すべきものではないといわなければならない。

五  松野製剤それ自体の外観と正常薬剤それ自体の外観との間における差異

1 正常薬剤それ自体の外観

(一) 色

正常薬剤がすべて米山化学工業株式会社において昭和二十八年四月ごろから昭和三十年までの間に製造された無規格品であることは既に明白なところであり、このことと昭和二十八年四月ごろから昭和三十年八月二十九日ごろまでの間に同会社では第二りん酸ソーダの製造管理等の過程で変更を加えたことが全然なく従つてその間において同会社で製造された第二りん酸ソーダの品質・形状が均一であること(このことは昭和三十七年十二月五日付「第五十六回公判調書」の内証人本田直栄の供述を録取した部分によつて明白である。)と昭和三十年八月二十九日ごろ同会社で製造された無規格品の第二りん酸ソーダは白色の細かい粒子の中に白色のやや荒い結晶体がわずかに混在しているという外観すなわち食用塩とか三盆砂糖とかに類似している外観を備えているものであること――このことは司法警察員巡査部長福山文夫の作成した昭和三十年八月二十九日付「捜索差押調書」とこれに添付されている「押収品目録」と昭和三十六年六月十日付「検証調書」と領置した「工業用第二燐酸ソーダ」(昭和三十一年押第四十六号の百十二)と領置した「瓶入薬剤」(同号の百四十)とによつて明白である。――と昭和三十四年五月二十日付「証人小坂真也尋問調書」と昭和三十四年六月十日付「第二十八回公判調書」の内証人山本繁の供述を録取した部分と昭和三十六年五月八日付「第四十回公判調書」の内証人榊嘉宏の供述を録取した部分とによると、正常薬剤はすべて白色の細かい粒子中に白色のやや荒い結晶体がわずかに混在しているという外観すなわち食用塩とか三盆砂糖とかに類似している外観を備えているものであつたことが明らかである。

(二) 結晶状態

昭和三十七年十二月五日付「第五十六回公判調書」の内証人本田直栄の供述を録取した部分によると、米山化学工業株式会社で製造された無規格品の第二りん酸ソーダには粉砕機を用いて細かく整粒したものとそうでなく結晶体が不ぞろいのまま出荷したものとの二種があつたことが明白であるが、正常薬剤がこの二種の内のいずれであつたかということを確定することのできる証拠は全くない。しかも領置した「日本薬局方」(昭和三十一年押第四十六号の五十四)によると、第二りん酸ソーダの結晶の大小はその観察時における気温・湿度により(風化により)一定していないものであることが明白である。そうすると正常薬剤の結晶状態がどうであつたかということと――そして光沢がどのようであるかということは結晶状態のいかんによつて左右されるのであるから――正常薬剤の光沢がどうであつたかということとはこれを明らかにすることができないのみならず、これが明らかにされてもこの結晶状態が松野製剤のそれと異つているということは前記の信頼感を動揺させ正常薬剤と松野製剤との間に品質上の差異があるかも知れないという疑問を生ぜしめる程度の重要性を持つ徴表たりえないことになるわけである。

2 松野製剤それ自体の色

(一) 本件未使用剤の色

(1) 領置した「第二燐酸ナトリウム・ビニール袋入約五・七瓩」(昭和三十一年押第四十六号の二)と領置した「第二燐酸ナトリウム約一六・五瓩」(同号の三)と領置した「瓶入薬剤」三びん(同号の百三十六から百三十八まで)とはいずれも現在においては、白色半透明の結晶体(大はざらめ砂糖位の大きさから小は微粒粉末状のものまでの結晶体)の集合体の中に薄い黄かつ色を帯びた粒子が点在しているという状態である。

(2) 司法警察員佐藤茂の作成した昭和三十年八月二十九日付「捜索差押調書(甲)」とこれに添付してある「押収品目録」と昭和三十四年六月三日付「第二十七回公判調書」の内証人小坂真也の供述を録取した部分と昭和三十六年六月十五日付「第四十一回公判調書」の内証人佐尾山明の供述を録取した部分と昭和三十六年六月十日付「検証調書」と証人堺昭治・同佐尾山明及び同西山誠二郎の各第五十七回公判期日における供述と証人荏原秀介及び同伊東半次郎の各第五十八回公判期日における供述とによると、つぎの事実が明らかである。

本件未使用剤は木箱に入れられかつその木箱にふたをした上からなわが掛けられている状態で本件工場の消耗品倉庫に保管されていた。そして昭和三十年八月二十七日早朝に、この木箱のふたが初めて開かれ、本件未使用剤が初めて本件工場でその姿を現したのであるが、同年同月二十八日本件工場で本件工場の従業員がこの木箱より本件未使用剤の一部を取り出してこれを司法警察職員に提出した。その際司法警察職員はこの提出物件を共せん広口びん四本に入れて領置し、この四本のびんの内一本は同年同月三十日司法警察職員から伊東半次郎に交付され同人がこの内容物に対して検査を加え、残り三本のびんの内二本は徳島県警察本部から警察庁科学捜査研究所に送付され同研究所でこの内容物に対して検査を加えたが同研究所で検査のため使用した残余の分が前記昭和三十一年押第四十六号の百三十七と同号の百三十八とである。なお前記四本のびんの内最後の一本は徳島県警察本部鑑識課で保管されておりこれが前記昭和三十一年押第四十六号の百三十六である。一方同年同月二十九日本件工場で司法警察員が前記木箱とこの内容物(本件未使用剤の一部)とを押収したのであるが、この内容物の一部がその後間もなく徳島県警察本部鑑識課ですり合わせ共せん大びんに移し変えられこの大びんの内容物が同鑑識課から証拠品係りを経由して徳島地方検察庁に移管され同庁から当裁判所に提出されたのでありこれが前記昭和三十一年押第四十六号の二と同号の三とである。

(3) 昭和三十六年六月十五日付「第四十一回公判調書」の内証人佐尾山明の供述を録取した部分と証人佐尾山明及び同西山誠二郎の各第五十七回公判期日における供述と証人荏原秀介及び同伊東半次郎の各第五十八回公判期日における供述と前記(1)及び(2)において明らかにされたことがらによると、本件未使用剤の外観はこれが前記木箱に入れられた当時(昭和三十年当時)と現在当裁判所で領置されている状態との間で別段異つていないのであり従つて本件未使用剤はその全部が昭和三十年当時においても前記(1)のとおりの状態であつたといわざるをえない。

(二) 松野製薬にあつた同種薬剤の外観

(1) 領置した「第二燐酸ソーダ約一・三瓩」(昭和三十一年押第四十六号の四)と領置した「第二燐酸ソーダ四袋」(同号の百十四)の内三袋(同号の百十四の二から四まで)と領置した「瓶入薬剤」(同号の百四十一)とはいずれも、白色の細かい粒子の中に白色のやや荒い結晶体が多少混在している(そして着色した粒子は全然混在していない。)という外観すなわち食用塩とか三盆砂糖とかに類似している外観を備えているものであつて色の点では正常薬剤(前記1の(一)参照)との間で外観上の差異が全く見受けられないものである。

(2) 大阪地方裁判所の作成した昭和三十年十二月一日付「検証調書」とこれに添付されている「押収品目録」と司法警察員田中信義の作成した昭和三十年八月三十日付「捜索差押調書」とこの捜索差押調書に添付されている「押収品目録」と昭和三十四年一月二十三日付「第十七回公判調書」の内証人松野隆信の供述を録取した部分と昭和三十一年押第四十六号の百四十一のびんに添付されているラベルと前記第一の二の3に掲げた各証拠とを総合すると、昭和三十一年押第四十六号の四と同号の百十四の二から四までと同号の百四十一とはいずれも日本軽金属株式会社清水工場で前記不純物除去装置から取り出された不純物が前記第一の二の5のとおりの経緯で松野製薬の手に渡り更に生駒薬化学工業株式会社が松野製薬からの依頼で前記第一の二の5のとおりの方法で精製して松野製薬に納入し松野製薬がこれをそのまま保管していたものすなわち本件物質の一部であつて松野製剤と全く同じ化学的組成を有しその出所・製造方法及び取引経路も松野製剤と同じものにほかならないことが明白である。

(3) 昭和三十三年十二月一日付「第十四回公判調書」の内証人今津定の供述を録取した部分と昭和三十四年一月二十三日付「第十七回公判調書」の内証人松野隆信の供述を録取した部分によると松野製剤は本件物質の一部が――松野製薬では何も手を加えずに――そのまま協和に納入され協和がこれをそのまま(何も手を加えずに)本件工場に納入したものであることが明白である。

(三) 昭和三十四年一月二十三日付「第十七回公判調書」の内証人松野隆信の供述を録取した部分と昭和三十五年四月七日付「第三十五回公判調書」の内証人大倉親英の供述を録取した部分と本件物質は最終的には前記第一の二の5のとおり赤色の廃液が表面に付着している白色結晶体を遠心分離機で脱水(廃液除去)するという作業で作り出されたものであることと以上(一)及び(二)において明らかにされたことがらとを総合すると、本件物質の中にはその色が前記(二)の(1)のとおりの状態のものと前記(二)の(1)のとおりの状態のものとの二種があることが明らかである。

(四) そこで松野製剤の内本件工場で乳児用調製粉乳の製造の際原粉牛乳に添加されたもの(すなわち松野製剤の内本件使用剤以外の二百十キログラム、以下「本件既使用剤」という。)は以上二種の内のどれであつたかという問題が生ずる。(本件未使用剤は昭和三十年八月二十六日以前には荷ほどきさえされていなかつたことが前記のとおりであるから、ここでは問題にならない。)

(1) 検察官の面前における供述を録取した書面の証拠価値

本件既使用剤の外観が正常薬剤の外観と異つていたかどうかに関し、積極的証拠たりうるものとしては天羽邦治の植村検事に対する供述を録取した昭和三十年九月三日付供述調書と三品政美の柴田検事に対する供述を録取した同年同月七日付供述調書と被告人小山孝雄の柴田検事に対する供述を録取した同年同月四日付供述調書との三個があるだけであつてそれ以外にはこの点に関する積極的証拠たりうるものは全くない。ところが以上三通の供述調書はつぎに述べる理由により、いずれもその証拠価値が貧弱であつてこの記載内容が事実に則したものと考えることができないのである。

イ 天羽邦治の検察官に対する供述調書の中には「第二りん酸ソーダを蒸留水または水道水で溶かした液は薄茶色になつた。」という趣旨の記載があるが、これは天羽邦治が本件工場における第二りん酸ソーダの添加作業の大要を説明している中で突然現れている供述の記載であつてこの薬剤の入荷時期と使用時期とについては何らの説明もない。しかもこの調書の中に第二りん酸ソーダそのものについての説明として「初めは白色であるがしばらく置くと色がつき多少灰色がかつた色になつていた。」という趣旨の供述の記載があるが、もしこの供述が真実に則しているとすればこの灰色がかつた色の薬剤を水に溶かす場合その溶液が「薄茶色」になることは常識上も学問上も考えられない奇異な現象であるといわざるをえない。しかもこの不合理性について検察官が天羽邦治に説明を求めた形跡は全然ないのである。そうするとこの調書中、安定剤の着色状態に関する供述の記載は全く信用に値しないものといわなければなるまい。

ロ 三品政美の検察官に対する供述調書の中には「本件工場の製造室の一隅にあるかんの中に入れてあつた第二りん酸ソーダは、これを見ると、相当汚れていたような記憶がある。」という趣旨の供述記載がある。しかしこの調書中安定剤の着色状態に関する供述の記載はこれのみでありこの「汚れていた」ということだけでは当該薬剤が果して具体的にどのような外観ないし色調を呈していたかということはこれを明らかにすることができない。のみならずこの事件では安定剤の外観に異常があつたかどうかということがいわゆる「事件成否のきめ手」ともなるべき重要なことがらであり従つて捜査官ことに検察官としてはこの「汚れていた」という供述につき更に詳細な発問をし(ときには当該捜査官の手中にある証拠物を呈示し)具体的にこの「汚れていた」薬剤がどのような外観ないし色調を呈していたかにつき詳細な供述を求めるのが当然であるところ、このような詳細な発問が行われた形跡は全くないのである。そして以上のことがらと昭和三十四年三月十三日付「第二十五回公判調書」の内証人三品政美の供述を録取した部分と昭和三十六年四月六日付「第三十九回公判調書」の内証人三品政美の供述を録取した部分とを総合すると、三品政美はこの供述調書の作成されたとき検察官に対して「第二りん酸ソーダは試薬のものに比べると多少湿気を帯び若干光沢度が下つているような感じであつたと思う。」と供述しこの供述が以上のとおりこの調書に記載されたのに過ぎないのではあるまいかという合理的疑惑が存在しこの疑問が解消されるだけの資料は何もない。よつてこの調書中安定剤の着色状態に関する供述の記載も信用に値しないものである。

ハ 被告人小山孝雄の検察官に対する供述調書の中には「昭和三十年四月ごろ本件工場で荒煮係が用いていた第二りん酸ソーダを見ると色が感心できなかつたので返品するように命じたことがある。これは山本薫が小坂真也か吉村年かのいずれかに命じたものと思うが、命を受けた者がどういう処置をとつたかは知らない。」という趣旨の供述記載がある。しかし昭和三十年四月ごろ以降に本件工場の従業員であつた者の中に同被告人から安定剤の返品を命ぜられたという者があるということを供述している者はだれもいないしその外にかかる返品命令のあつたことの裏付けとなりうる証拠は全然ない。しかもこの「色が感心できない」という状態についてこの供述記載だけでは当該薬剤が果して具体的にどのような外観ないし色調を呈していたということはこれを明らかにすることができない。のみならずこの事件では安定剤の外観に異常があつたかどうかということが「事件成否のきめ手」ともなるべき重要なことがらであり従つて捜査官ことに検察官としてはこの「色が感心できなかつた。」という供述につき更に詳細な発問をし(ときには当該捜査官の手中にある証拠物を呈示し)具体的にこの「色が感心できない」薬剤がどのような外観ないし色調を呈していたかにつき詳細な供述を求めるのが当然であるところ、このような詳細な発問が行われた形跡は全くないのである。そして以上のことがらと昭和三十四年六月十日付「第二十八回公判調書」の内証人山本薫の供述を録取した部分と証人吉村年の第五十六回公判期日における供述と領置した「書簡」(昭和三十一年押第四十六号の百三十一)とを総合すると、同被告人はこの検察官面前調書の作成されたとき検察官に対して「色が感心できなかつたのでその返品を命じた。」との供述をした際には昭和二十九年十二月ごろバター製造用の食塩にさび色を呈していたものがありその返品を命じたことを第二りん酸ソーダの返品を命じたと思い違いして供述した(この検察官面前調書に記載されている供述は同被告人がこの事件で逮捕されてから七日目のことであり従つて同被告人の精神状態が相当混乱しており本文記載のような思い違いが行われる可能性もないとはいえないのである。)のであるまいかという合理的疑惑が存在しこの疑問が解消されるだけの資料は何もない。よつてこの調書中安定剤の着色問題に関する供述の記載も信用に値しない。

(2)  そうするとこの事件では、本件既使用剤の全部または一部に前記(二)の(1)のとおりの状態のもの(すなわち正常薬剤との間で外観上の差異が全く見受けられないもの)以外のものがあつたかどうかという点はこれを確定することができないわけである。のみならずもし正常薬剤との間で外観上の差異が見受けられるもの(たとえば本件未使用剤のようなもの)が本件既使用剤の内一部にあつたとしても、これが本件工場に入荷した時期とこれが原料牛乳に使用された時期とはこれを確定する方法が全くないのであり、これが確定されない限りは、この事件における過失責任の範囲(すなわち本件粉乳の中のどの乳児用調製粉乳の製造について過失を肯定すべきかという問題)も又確定することができない道理である。

3 しかも本件既使用剤と正常薬剤との間で、着色状態以外の点で、外観上の差異があつたかどうかということは何ら明らかにされなかつた。

4  そうすると前記四の3のとおりの理由により、本件工場としては前記の信頼感に従つて行動することが是認されるため前記の化学検査による同一性確認とか化学試験による無害検査とかをしなければならないという注意義務の履行を本件工場に要求すべきものではないといわなければなるまい。

六  よつて松野製剤が乳児用製粉乳の製造のとき原料牛乳に添加する際における過失についても、その第一段階である注意義務において既に検察官の主張は失当である(ただし、外観点検については前述のとおり違反行為の存在が認められない。)といわなければならない。

第五結語

そうすると、その余のことがらことに被告人大岡正と同小山孝雄とが本件工場での乳児用調製粉乳の製造に際しどのような地位・状態にあつたものであるかという点及び別表第一と別表第二とに記載されている数百名の乳児が本件粉乳を飲用したかどうかという点並びにこの飲用のためどのような結果が生じたかという点について判断を加えるまでもなく、この事件についてはこの被告人両名に対して刑事訴訟法第三百三十六条所定の「無罪の言渡」をこの判決でしなければならない。

第六追記

おそらく森永乳業株式会社で作られたドライミルクの品質が優良であると信じつつ又わが子の健全な発育を希求しつつドライミルクを買い求めて愛児に与えられしかもそのために愛児に苦しみを与えることになつた方々の悲痛な御心情と無心にドライミルクを飲用して健康上重大な支障を受け中にはついに帰らぬ旅に立たれてしまわれた乳児の皆さんの被られた苦痛とに思いをめぐらし、又乳児用の食品によつて大量の中毒事故が発生したというこの事件の社会的影響の重大性をかんがみますと、この事件に今ここで終止符を打つに際し当裁判所としても幾多の感慨が胸中に去来するのを禁じえません。この事件では森永乳業株式会社に刑事法上の責任を問うことができないということをこれまでこの判決で説明して来ました。そこでそのつぎに生じて来る問題は、このドライミルク中毒事件において刑事法上の責任を負担すべき者はもしあるとすれば一体だれなのかという問題です。この問題について検討し解明することは、裁判所としての職責上、当裁判所はここでこれをすることのできない立場にあります。しかしながら、このような不幸な事件が二度と起らないようにするために、この判決をお読みになる皆さんが御自分でこの問題を解決されるための糸口として、八年の長きにわたり当裁判所の手もとに集められた資料に基き、この問題解決のための素材となるべきことがらの内これまでこの判決中に記載されていないことがらの二三をここに附記して置くことも一つの社会的責務を果すことになるのではなかろうかと考えます。

一  昭和二十八年秋以来日本軽金属株式会社清水工場でりんとひ素とを大量に含有する特殊な物質が取り出され始めてから間もなくこの有毒物質の処置について静岡県衛生部から厚生省に対して(そのひ素含有量を報告した上で)照会がされたのですが、厚生省ではただ「この有毒物質は毒物及び劇物取締法にいうひ素等を含有する製剤には該当しない。」という回答を与えただけでそれ以外に指示を全くしませんでした。

二  そのためこの有毒物質はその後日本軽金属株式会社から、この判決に記載したように新日本金属化学工業株式会社に、又その後更に他の会社に出荷され始めたのです。

三  新日本金属化学株式会社に出荷されたものが、この判決に書いてあるとおり、多量のひ素を含有するものであるということは同会社でも松野製薬でもこれを知つていました。それにもかかわらずこれが、この判決で明らかにしたとおりの経緯で、第二りん酸ソーダという名称の下に売買されたわけです。

四  第二りん酸ソーダというものは、本来は清かん剤等で用いられて来たものですが、乳製品を製造する際の添加物として使用されることもありうるということも当時乳製品製造業者の常識であつたといえます。

五  本来食品添加物として用いるための薬剤を購入するときには局方品ないし試薬一級品を注文してこれを使用する例が多く、これがむしろ普通ではなかつたかと思われます。

第三章  食品衛生法違反被告事件

第一「生乳に他物を混入しないこと」という基準に対する違反

一  昭和三十六年十一月七日付「第六回公判調書」の内証人井上邦夫及び同今津定の各供述を録取した部分と昭和三十六年十一月七日付「第七回公判調書」の内証人松野隆信及び同三谷喜一の各供述を録取した部分と昭和三十六年十一月八日付「第八回公判調書」の内証人渡辺只至の供述を録取した部分と昭和三十六年十二月二十二日付「第十回公判調書」の内証人来島清の供述を録取した部分と昭和三十六年十二月二十二日付「第十一回公判調書」の内証人河野博繁の供述を録取した部分と昭和三十七年四月十日付「第十二回公判調書」の内証人真鍋正夫の供述を録取した部分と昭和三十七年四月十日付「第十三回公判調書」の内証人泉和男の供述を録取した部分と領置した「日誌」(昭和三十七年押第二十五号の七)と領置した「受信書綴」(同号の)と領置した「メモ」(同号の十一)と領置した「レツテル」(同号の十二)と領置した「手紙控」(同号の十三)と領置した「日記帳」(同号の十七)と領置した「売上日記帳」(同号の十八)と貯蔵品勘定帳二冊(昭和三十一年押第四十六号の七十二の貯蔵品勘定帳四冊の内二冊――徳島地検昭和三十年領第五百二号の二三の三及び同号の二三の四)と買掛帳三冊(昭和三十一年押第四十六号の三十六)とによると、昭和二十九年五月六日から同年十月七日ごろまでの間本件受乳所で過酸化水素水を牛乳に混入したこと、この過酸化水素水は江戸川化学工業株式会社で製造された純度三十五パーセントの過酸化水素水であること及びこの過酸化水素水五立方センチメートルを百立方センチメートルの水で薄めたものを一等乳A二斗に混入し又この過酸化水素水十一立方センチメートルを百立方センチメートルの水で薄めたものを一等乳B二斗または二等乳二斗に混入するという方法でこの過酸化水素水の混入が行われたことが明白である。

二  ところで乳及び乳製品の成分規格等に関する省令で定められている「生乳には他物を混入しないこと」という基準は乳製品の製造工程中において原料乳に他物を混入することまでも禁止するものではないと解すべきものである。けだしもしこの製造工程中における他物の混入までもがこの基準による規制の対象に含まれると解するときには、同省令自体における論理的むじゆんを避けるためには、乳製品の製造工程中において原料乳に同省令所定の添加物を混入することは同省令にいわゆる「他物の混入」に該当しないすなわち同省令所定の添加物は同省令にいわゆる「他物」でないといわざるをえないことになるが同省令所定の添加物なるものはその範囲がきわめてあいまいである(たとえば「しよ糖、ココア等の食品又は色素香料等」が同省令で添加物とされている。)からどの物質が他物でありどの物質が他物でないかということを確定することができなくなり法規解釈上著しい困乱が招来されることになるからである。

三 そして生乳すなわち「さく取したままの牛乳」はこれに物理的ないし化学的処理(たとえば脂肪分の除去・濃縮・水分の除去・同省令所定の添加物の混入・加熱・冷凍等)が加えられていなくても、これに以下四個の条件が付加されるに至つたときには生乳ではなくなり「乳製品の製造工程中における原料乳」となると解すべきものである。

1 乳製品製造工場がその工場で製造される乳製品の原料に用いる目的で取得した牛乳であること

2 この牛乳が当該工場から他に流出することがないということが明らかになつているものであること

3 この牛乳が当該工場で製造される乳製品の原料として用いられる以外の用途(たとえば飲用・他の乳製品製造工場での使用等)には供されないということが明らかになつているものであること

4 この牛乳が当該工場の管理ないし支配下にあるものであること

四  しかるところ昭和三十六年十一月七日付「第六回公判調書」の内証人井上邦夫の供述を録取した部分と昭和三十六年十二月二十二日付「第十回公判調書」の内証人渡辺只至の供述を録取した部分と昭和三十七年四月十日付「第十二回公判調書」の内証人来島清・同河野博繁及び同真鍋正夫の各供述を録取した部分と昭和三十七年四月十日付「第十三回公判調書」の内証人泉和男の供述を録取した部分と森永乳業株式会社徳島工場で作成された給料支払表二通とによると、本件受乳所は森永乳業株式会社徳島工場の一部であつて同工場酪農課と同工場製造課受乳係とに所属し本件受乳所で購入された牛乳はすなわちこの徳島工場(本件工場)が購入したものにほかならず又本件受乳所に置かれている牛乳はすべて本件工場の管理・支配下にあるものであることが明らかである。しかも前掲各証拠と被告人小山孝雄の第六十一回公判期日における供述とによると本件工場は昭和二十九年当時大かん全脂粉乳・大かん全脂加糖練乳・大かん脱脂加糖練乳・大かん脱脂粉乳及びバターを製造しており昭和二十九年本件受乳所で購入された牛乳は本件工場が――本件工場で当時製造していた――以上の製品の原料に用いる目的で購入したものであることが明白である。

五  更に前掲各証拠と昭和三十三年十一月十四日付「検証調書」と領置した写真(昭和三十七年押第二十五号の十五)と被告人小山孝雄の第六十一回公判期日のおける供述とによると、つぎの事実が明白である。

1 本件受乳所に持ち込まれた牛乳は香川県農林物資検査条例(昭和二十五年八月香川県条例第十七号)に基く香川県乳製品原料牛乳検査規則(昭和二十五年九月香川県規則第四十六号)所定の検査を受けて一等乳及び二等乳に区分されたものが購入され、その後この購入された牛乳は本件受乳所での乳質検査を受けて一等乳Aと一等乳Bと二等乳との三種に区分される。(ちなみに昭和二十九年当時本件工場では、粉乳は一等乳Aのみを原料として製造するという方針が樹立されていた。)

2 しかる後この牛乳がろ過器でろ過され又表面冷却機で冷却された上で貯乳されているが、これが適宜取り出されて本件受乳所から本件工場に送付される。

3 本件工場では本件受乳所から送付されて来た牛乳をその受領の日に直ちに荒煮がまに入れて加熱殺菌する。そしてこの牛乳はその後直ちに濃縮工程等を経て前記四の乳製品となる。

4 そして前記一の過酸化水素混入行為はすべて、牛乳が前記のとおり本件受乳所で貯乳タンク中から出され本件工場に向けて送付される直前において行われたものである。

六  以上のことがらと昭和三十七年四月十日付「第十四回公判調書」の内証人小寺善二郎の供述を録取した部分と昭和三十七年四月十三日付「第十五回公判調書」の内証人伊地知武俊の供述を録取した部分とによると、本件受乳所で以上のろ過工却工程及び貯乳工程を経てしまつた牛乳はすべて本件工場での前記四の乳製品の製造のために消費されこれが程・冷(一部たりとも)他の用途に転用されたり本件工場以外に流出したりしたことは全くなかつたことが明白である。

七  そうすると前記一の過酸化水素水は乳製品の製造工程中において原料乳に混入されたものに過ぎず前記省令所定の「生乳」に混入されたものではないといわなければならない。よつてこの「生乳に他物を混入しないこと」という基準に対する違反という訴因についてはその余のことがらについて判断を加えるまでもなく、被告人小山孝雄と同中島俊夫と同森永乳業株式会社との三名に対して刑事訴訟法第三百三十六条所定の「無罪の言渡」をすべきものである。

第二「過酸化水素を、合成漂白料以外の目的で、使用しないこと」という基準に対する違反

昭和二十九年五月から同年十月までの間にあつては、食品衛生法第七条第一項所定の――厚生大臣が、公衆衛生の見地から、販売の用に供する食品若しくは添加物の製造、加工、使用、調理若しくは保存の方法につき定める――基準として「食品衛生法第七条及び第十条の規定による食品、添加物、器具及び容器包装の規格及び基準を定める件」(昭和二十三年七月厚生省告示第五十四号)の二の(二)の(1)において食品衛生法施行規則(昭和二十三年厚生省令第二十三号)別表第二の下欄に規定する化学的合成品は、それぞれ、その上欄に規定する目的以外に使用してはならない。」と定められていた。従つて昭和二十九年五月から同年十月までの間にあつては、「過酸化水素は合成漂白料以外の目的で使用してはならない。」という基準が――食品衛生法第七条第一項の規定により定められた基準として――存在していたのである。しかも昭和二十九年五月以降にあつては、食品衛生法第七条第二項において「食品衛生法第七条第一項の規定により基準が定められたときは、その基準に合わない方法により食品若しくは添加物を製造し、加工し、使用し、解理し若しくは保存してはならない。」と定められ同法第七条第二項の規定に違反した者に対する刑罰として同法第三十一条第一号において――但し昭和三十二年六月十五日「食品衛生法の一部を改正する法律」(昭和三十二年法律第百七十五号)により食品衛生法の一部改正が行われたとき以後においては、食品衛生法第三十条の二第一項において――この違反者に対する刑罰が定められている。そして検察官は、昭和二十九年五月から同年十月までの間において森永乳業株式会社徳島工場に所属する受乳所で牛乳に過酸化水素が混入されたところこの過酸化水素混入行為が「過酸化水素を合成漂白料以外の目的で使用した」ことすなわち「食品衛生法第七条第一項の規定により定められた基準に合わない方法により過酸化水素を使用した」ことになると主張している。

しかしながら昭和三十二年七月三十一日「食品衛生法施行規則の一部を改正する省令」(昭和三十二年厚生省令第三十三号)により食品衛生法施行規則(昭和二十三年厚生省令第二十三号)の一部改正が行われその結果食品衛生法施行規則(昭和二十三年厚生省令第二十三号)別表第二の上欄がなくなつてしまつた。この改正により「食品衛生法第七条及び第十条の規定による食品、添加物、器具及び容器包装の規格及び基準を定める件」(昭和二十三年七月厚生省告示第五十四号)の二の(二)の(1)にいわゆる「食品衛生法施行規則(昭和二十三年厚生省令第二十三号)別表第二の・・・上欄に規定する目的」というものは存在しなくなつたところこの改正に対応して昭和三十二年十二月二十八日「食品衛生法(昭和二十二年法律第二百三十三号)第七条第一項及び第十条第一項の規定に基き、食品、添加物、器具及び容器包装の規格及び基準(昭和二十三年七月厚生省告示第五十四号)の一部を改正する件」(昭和三十二年十二月厚生省告示第四百二十号)により「食品衛生法第七条及び第十条の規定による食品、添加物、器具及び容器包装の規格及び基準を定める件」(昭和二十三年七月厚生省告示第五十四号)の一部改正が行われその結果「食品衛生法第七条及び第十条の規定による食品、添加物、器具及び容器包装の規格及び基準を定める件」(昭和二十三年七月厚生省告示第五十四号)の二の内容も改められてしまつた。ちなみに食品衛生法第七条第一項の規定により定められる基準はその後もこれに数度の改正が加えられたけれども、ことにこの基準として昭和三十四年十二月二十八日「食品、添加物等の規格基準」(昭和三十四年十二月厚生省告示第三百七十号)が制定されこの制定と同時に「食品衛生法第七条及び第十条の規定による食品、添加物、器具及び容器包装の規格及び基準を定める件」(昭和二十三年七月厚生省告示第五十四号は――「食品、添加物等の規格基準」(昭和三十四年十二月厚生省告示第三百七十号)により――廃止されてしまつたけれども、過酸化水素の使用基準という点に関する限り昭和三十二年度における前記改正が実質的改正の最後のものでありその後は過酸化水素の使用基準に実質的な変更を加えることの全然ないまま現在に至つている。

そうすると昭和三十二年度における前記改正により「過酸化水素を合成漂白料以外の目的で使用してはならない。」という基準が、食品衛生法第七条第一項の規定により厚生大臣の手で定められている基準としては、存在しなくなつてしまつたことになる。しからば食品衛生法第七条第一項の規定により厚生省告示という形式の下に定められている基準に合わない方法で過酸化水素を使用してはならないという食品衛生法第七条第二項の規定に違反した者があるとして、この違反行為の済んだ後においてこの基準が――食品衛生法第七条第一項の規定により厚生省告示という形式の下に制定された改正によつて――撤廃されてしまつたときにはこの基準撤廃ということがらがこの基準撤廃前に行われた違反行為の行為者に対して処罰を加えることに影響を与えるものであるかどうかという問題を検討しなければならない。

そもそも食品衛生法第七条第一項は厚生大臣に対して「公衆衛生の見地から、販売の用に供する食品若しくは添加物の製造、加工、使用、調理若しくは保存の方法につき基準を定め」ることを委任し厚生大臣はこの委任に基き、例えば添加物を組成する化学的合成品の人体にもたらす影響などを考慮し人の身体的健康の保持などを保障するために必要なことがらを基準として定めなければならない。したがつて「食品衛生法第七条第一項によつて定められた基準に合わない方法により食品若しくは添加物を製造し、加工し、使用し、調理し若しくは保存してはならない。」とする食品衛生法第七条第二項の規定に違反した者に対して刑罰を課すことを定めている食品衛生法の規定は、違反行為の内容を厚生大臣の定めに譲つている点において、いわゆる「白地刑罰法規」に当るものといわなければならない。けだし、食品衛生法第七条第一項は「飲食に起因する衛生上の危害の発生を防止し、公衆衛生の向上及び増進に寄与する」という目的を達成するため「公衆衛生の見地から、販売の用に供する食品若しくは添加物の製造、加工、使用、調理若しくは保存の方法につき基準を定め」るという広大な権限を厚生大臣に委ねているため食品衛生法第七条第二項の規定に違反するという罪の構成要件はその具体的内容が厚生大臣の定め――すなわち厚生省告示――のなかで設定されておりそれゆえ「食品衛生法第七条第一項の規定により定められた基準に合わない方法により食品若しくは添加物を製造し、加工し、使用し、調理し若しくは保存してはならない。」という食品衛生法第七条第二項の規定に違反するという罪なるものは――食品衛生法第七条第一項の規定により厚生大臣の定めた基準を無視するという抽象的なことがらにあるのではなく――食品衛生法第七条第一項の規定により厚生大臣が各個の場合につき定めた個々の基準例えば「過酸化窒素は合成小麦粉改良剤としての使用目的以外の目的で、ないし小麦粉以外の食品には、使用してはならない。」という個別的具体的使用基準に違反するということをその本質とするものであるからであつて、以下この問題をもう少し掘り下げに見よう。一体食品衛生法規においては厚生大臣の定める基準なるものが重要な法規的機能を果しており、食品衛生法第七条第二項の規定に違反した者は処罰するという法規は高度の委任立法であることをその特色としている。これをことの実質面から見ると食品衛生法という基本法規は厚生大臣が基準を定めることによつて始めて生きた刑罰法規になるのであり、これを形式面から眺めると厚生大臣の手で定められた基準に合わない方法で食品若しくは添加物を使用したりしたことが一定の犯罪を成立させることになるといわなければならない。それゆえこの場合食品衛生法違反行為なるものは厚生大臣が食品衛生法第七条第一項の規定により定めた基準すなわち厚生省告示に違反する行為にほかならず、この基準の設定によつて始めて食品衛生法が一個ないし数個の法規範として完成されるわけである。もし以上の理論が誤りであつて「食品衛生法第七条第一項の規定により定められた基準に合わない方法により食品若しくは添加物を使用し」たりすることを禁止するという食品衛生法の規定それ自体においても何ら空白がないというような理論が正しいとするならば、刑罰法規すなわち食品衛生法の規定それ自体だけではどんな行為が罰せられるかということを知ることが全然できないことになつて罪刑法定主義との関係上疑問が生ずるのみならず、どのような行為が犯罪に当るかということを具体的に知ることのできないようなものすなわち法律上の構成要件の実質を備えていないものが犯罪行為として定立されたことになり構成要件理論の点から考えても著しく不合理な結果を招来することになる。だから食品衛生法第七条第一項の規定により厚生大臣の定める基準すなわち厚生省告示が空白刑罰法規たる食品衛生法の空白部分を補充する法規範であつて、この基準が設定されることによつて食品衛生法の空白部分が補充されるということは食品衛生法それ自体においてかような基準の内容となつていることがらがすべて規定されていることと全く同じであると考えなければならない。そうだとするならば食品衛生法第七条第一項の規定により規準を定めることは、行政庁がその本来の仕事として行う行政処分ではなく立法府からの委任によつて行政庁が一般的抽象的に適用される刑罰法規の一部を制定することにほかならない。かように以上の規準の設定なるものが立法作用に属するものである以上、これと同様に、食品衛生法第七条第一項の規定によつて定められている規準を廃止することは制定された法規範の一部の廃止であつてこれまた本質的には一個の立法作用であり立法府自身の手による法規範の廃止に代り立法府からの委任を受けた行政庁の手による法規範の廃止といわなければならない。したがつて「過酸化水素を合成漂白料以外の目的で使用してはならない。」という基準が昭和三十二年度における前記改正の結果なくなつてしまつたということは、「過酸化水素を合成漂白料以外の目的で使用してはならないという基準に合わない方法により過酸化水素を使用してはならないという食品衛生法第七条第二項の規定に違反した者は刑罰に処する。」という具体的法規範の廃止ということに帰着し、しかもこれは単に違法性のみの法規範の変更ではなく刑罰法規の廃止にほかならないからこの過酸化水素の使用目的による使用制限という点についての可罰性もまた消滅してしまつているわけである。そして以上のことがらは、「公衆衛生の見地から、販売の用に供する食品若しくは添加物の製造、加工、使用、調理若しくは保存の方法につき基準を定め」ることを厚生大臣に委任している法律規定とこの「基準に合わない方法により食品若しくは添加物を製造し、加工し、使用し、調理し若しくは保存してはならない。」という法律規定及びこの法律規定に違反した者は刑罰に処することを定めている法律規定とが依然として有効に存続しているということによつて左右されるものではありえない。けだし、空白刑罰法規なるものはその空白が――告示などにより――補充されるたびにはじめて具体的な一個ないし数個の刑罰法規が完全な形を具備して出現して来るという性質をもつているのでありそれ故この補充物――告示など――が改廃されるときにはこの改廃によつて――かつ、この改廃と同時に――これに対応する個別的刑罰法規が改廃されるものにほかならないからである。して見ると刑罰法規の一部である「過酸化水素を合成漂白料以外の目的で使用してはならない。」という基準が存在しなくなつた以上、当該刑罰法規の他の部分をなす食品衛生法の規定が存続していてもそれだけでは――過酸化水素の使用目的による使用制限という点に関する限り――一個の刑罰法規として働く能力は消滅したのであり、過酸化水素を合成漂白以外の目的で使用しても食品衛生法による処罰を受けることがないという法律状態が形成されたことになるわけである。

ところで昭和二十九年五月から同年十月までの間においては存在していた「厚生大臣が食品衛生法第七条第一項の規定により厚生省告示という形式で定めた『過酸化水素を合成漂白料以外の目的で使用してはならない。』という基準に合わない方法により過酸化水素を使用してはならないという食品衛生法第七条第二項の規定に違反した者は刑罰に処する。」という個別的具体的刑罰法規が廃止されてしまつた現在において昭和二十九年五月から同年十月までの間にこの刑罰法規に触れる行為をした者をこの刑罰法規を適用して処罰することは、原則としては、できない道理である。けだし刑法第六条は「犯罪後ノ法律ニ因り刑ノ変更アリタルトキハ其軽キモノヲ適用ス」と規定し刑事訴訟法第三百三十七条第二号は「犯罪後の法令により刑が廃止されたときには、判決で免訴の言渡をしなければならない。」と規定しているがこの二個の規定を照らし合わせて見ると、個別的具体的刑罰法規が廃止されてしまつた結果その廃止される前までは罪になるとされていた行為が処罰の対象から除かれてしまつたときにはこの行為すなわちこの刑罰法規の廃止されたときよりも前に行われた行為については刑の廃止があつたものとして――原則として――刑事訴訟法第三百三十七条第二号により免訴の言渡をしなければならないといわなければならない。(ちなみに刑法第八条は、刑法第六条の規定が「他ノ法令ニ於テ刑ヲ定メタルモノニ亦之ヲ適用ス但其法令ニ特別ノ規定アルトキハ此限ニ在ラス」と規定しており、食品衛生法とその附属法規と食品衛生法の規定により定められた厚生省告示とのなかには刑法第六条の規定の適用を除外するという趣旨の規定――すなわち食品衛生法第七条第一項の規定により定められた基準が撤廃されてしまつた後においてもこの撤廃前に行われた行為については、撤廃された基準によつて構成されていた刑罰法規を適用するという趣旨の規定――がないから、本文記載の場合には刑法第六条の規定が原則として適用されるのである。)

もつとも一定の刑罰法規に触れる行為をした者があつてもこの行為の済んだ後に当該刑罰法規が廃止されてしまつた場合には免訴の言渡をしなければならないという原則には二個の例外がある。この例外の一は、ある刑罰法規が廃止され形式的にはその法規の効力がなくなつてしまつたように見えるけれどもこの廃止と同時にかつ当該刑罰法規に代わるものとして制定された第二の刑罰法規のなかで始めの刑罰法規の重要性が承認されていると考えられる(この判定は二個の刑罰法規の実体的性質について比較検討を加えることによつて導き出されるものであるが、第一の刑罰法規を廃止する法令または第二の刑罰法規のなかでこのことが明定されていることもある。)場合である。この場合には最初の(廃止された)刑罰法規に触れる違反行為の可能性が実質的には第二の刑罰法規のなかに受け継がれているのであり、このようなときにはことの性質上旧法時における違反行為も旧法の形式的消滅後といえども――旧法は実質的には(新法の中で)存続しているという考えの下に――処罰されなければならないとするのが合理的であるからである。しかし本件についてこれを見るに、過酸化水素の使用目的による使用制限という基準の撤廃されたことが以上の例外的場合に該当するものとは到底考えられえないのであつて、このことは昭和三十二年度における前記改正を眺めて見ただけで明白なところである。第二の例外は、廃止された刑罰法規がいわゆる「限時法」に当る場合である。そして限時法とは、特殊な一時的事情のために――かつ、その実施期間について一定の時間的制約を想定して――制定されたものと考えられる刑罰法規を指称するものである。しかし「過酸化水素を合成漂白料以外の目的で使用してはならないという基準に合わない方法により過酸化水素を使用してはならないという定めに違反した者は刑罰に処する。」という刑罰法規は公衆衛生の見地から(食品衛生法第七条第一項)――かつ、「飲食に起因する衛生上の危害の発生を防止し、公衆衛生の向上及び増進に寄与することを目的と」して(食品衛生法第一条)――設定されたものであり、この制定に際し立法者(立法府の委任を受けた厚生大臣もこれに含まれるのであり、このことは既に説明したところによつて明白であり再説の要を見ない。)は過酸化水素の無制限な使用を禁止することがこの目的ないし公衆衛生上の観点に適合するものと考えていたといわなければなるまい。そうだとするならばこの刑罰法規の制定はたとえば物資(過酸化水素)の一時的欠乏をしのぐための対策というような特殊な一時的事情のために制定されたものでないことは明らかであつて、「限時法」には当らないと考えるのが相当である。

以上の理由により、「昭和二十九年五月から同年十月までの間において森永乳業株式会社徳島工場に所属する受乳所で牛乳に過酸化水素が混入された。」という事実に基く合成漂白料以外の目的をもつてした過酸化水素の使用(すなわち、過酸化水素の――食品衛生法第七条第一項の規定により定められた基準に合わない方法による――使用)という訴因については刑事訴訟法第三百三十七条第二号により免訴の言渡をすべきものである。しかしながらこの「過酸化水素を合成漂白料以外の目的で使用してはならない。」という基準に対する違反行為と前記第一の「生乳に他物を混入してはならない。」という基準に対する違反行為との関係は刑法第五十四条第一項前段所定の観念的競合に該当するところ、後者について「無罪の言渡」をこの判決でしなければならないのであるから、前者についての免訴の言渡はこれを主文に掲記しない。

以上の理由により主文のとおり判決する。

(裁判官 山本卓 右川亮平 和田功)

別表第一第二(略―〔編注〕 一〇府県にわたる四七人の死亡者および二三府県にわたる七二六人の受傷者につき、それぞれ氏名、生年月日、住所、ドライミルク飲用数量、罹病および死亡年月日、場所が記載されている。)

別表第三

(このうち生産工場欄中MFとあるのが本件工場の製品である。)

(下表備考欄中の日付は特記ない限り公衆衛生局より試料を送付されたものを示す。)

生産

工場名

製造

年月日

砒素化合物

の有無

定量値1g中

AS2O3として

備考

(徳島県衛生部

から直送)

生産

工場名

製造

年月日

砒素化合物

の有無

定量値1g中

AS2O3として

備考

(徳島県衛生部

から直送)

MF

5117

検出しない

7月1日

MF

5301

検出しない

7月1日

5125

5310

5130

5327

5218

5413

検出する

8月27日

5223

5414

5227

5415

5416

5614

5417

5615

5417

5619

5420

5620

5421 <1>

5621

5422 <1>

5425

5421 <2>

21 γ

8月24日

5427

5422 <2>

35 γ

5428

5423

8月27日

5429

5424 <1>

5430

5424 <2>

30 γ

8月24日

5502

5529 <2>

34 γ

5503

5530

8月27日

5505

5531

5511

5601

5512

5603

5513

5604

5514

5605

5515

5606

5516 <1>

5607

5516 <2>

5608

5516 <3>

5609

5522

5610

5523

5611

5524

5612

5525

30 γ

5613

5526

5528

5626

検出しない

5529 <1>

5627

5813

5628

5814

5629

5815

5630

5816

5701

5818

5712

5819

5716

5820 <1>

5722

5820 <2>

5726

5821

5731

5822

5804

検出する

20 γ

ML

5122

検出しない

9月2日

5805

14 γ

5206

8月31日

5806 <1>

5407

8月26日

5806 <2>

5412

5806 <3>

5510

5807

5513

5809

5608

5810

5612

5811

5706

5812

5721

5726 <1>

検出しない

9月2日

5622

検出する

8月27日

5726 <2>

5623

8 γ

5805

8月26日

5624

5814

9月2日

5625

5816

8月26日

MC

5320

検出しない

9月2日

5701 A

5405 A

8月26日

5726 A

5417 A

5805 A

5502 A

5812 A

5514 A

5816 A

市販品を別途入手

5608 A

5818

9月2日

5615 A

9月3日

MN

5408

検出しない

8月26日

5616 A<1>

9月15日

5812

5616 A<2>

5822

5624 A

8月26日

別表第四

納入年月日

納入数量

キログラム

木箱

製造元

代金

一キログラムにつき 円

昭和 年月日

箱数

一箱容量

キログラム

二八・四・一一ごろ

七〇

三五

米山化学工業株式会社

一九五

二八・五・八ごろ

一〇五

三五

同右

一八八

二八・八・一三ごろ

一〇五

三五

同右

一八八

二八・一〇・二九ごろ

一〇五

三五

同右

一七〇

二九・四・一七ごろ

一〇五

三五

同右

一七〇

二九・五・二八ごろ

一七五

三五

同右

一七〇

二九・一一・三ごろ

七〇

三五

同右

一七〇

二九・一一・一三ごろ

一〇五

三五

同右

一七〇

三〇・一・二五ごろ

一〇〇

五〇

同右

一七〇

三〇・四・一三ごろ

八〇

四〇

一七〇

三〇・四・三〇ごろ

八〇

四〇

一七〇

三〇・六・三ごろ

一〇〇

五〇

米山化学工業株式会社

一七〇

三〇・七・二六ごろ

一〇〇

五〇

一七〇

別表第五

「安定剤」使用量

種目

昭和年月日

乳量Kg

安定剤g

乳量日計Kg

安定剤日計g

配乳量Kg

備考

30.4.13

5150

6000

7000

515

600

700

18150

1815

18150

4.14

6150

5150

7000

7000

615

515

700

700

25300

2530

25300

4.15

6150

5150

7000

7000

615

515

700

700

25300

2530

25300

4.16

6150

5150

7000

7099.1

615

515

700

709

25399.1

2539

25399.1

4.17

6000

5150

7000

600

515

700

18150

1815

18300

配乳計算誤米乳量150Kg減

4.18

6150

7240.3

615

724

13390.3

1339

13390.3

推定

4.19

5150

6150

7000

7000

515

615

700

700

25300

2530

25300

4.20

6150

5150

5000

6000

5000

615

515

500

600

500

27300

2730

27300

4.21

6300

5150

6000

630

515

600

推定

種目

昭和年月日

乳量Kg

安定剤g

乳量日計Kg

安定剤日計g

配乳量Kg

備考

5000

6000

500

600

28450

2845

28450

4.22

6150

5150

6000

5000

6000

615

515

600

500

600

28300

2830

28300

4.23

6150

5150

6000

5000

6000

615

515

600

500

600

28300

2830

28300

4.24

6150

5150

6000

5100

6000

615

515

600

510

600

28400

2840

28400

4.25

6150

5150

6000

5000

6000

615

515

600

500

600

28300

2830

28300

推定

推定

4.26

6150

5150

6000

5116.2

6000

615

515

600

510

600

28416.2

2840

28416.2

4.27

5150

6150

6000

5000

6000

515

615

600

500

600

28300

2830

28300

4.28

5150

6150

6000

515

615

600

種目

昭和年月日

乳量Kg

安定剤g

乳量日計Kg

安定剤日計g

配乳量Kg

備考

5000

6000

500

600

28300

2830

28300

4.29

5150

6150

6000

5000

6000

515

615

600

500

600

28300

2830

28300

推定

推定

4.30

5150

6150

6000

5000

6000

515

615

600

500

600

28300

2830

28300

30.5.1

5150

6150

515

615

11300

1130

11300

5.2

5000

6000

6000

500

600

600

17000

1700

17000

5.3

5150

6150

6000

5000

515

615

600

500

22300

2230

22300

5.4

5150

6150

6000

5500

515

615

600

550

22800

2280

22800

5.5

5050

6150

6000

6500

505

615

600

650

23700

2370

23700

推定

5.6

5150

6150

6000

5150

6000

515

615

600

515

600

28450

2845

28490.6

配乳計算誤米乳量406Kg減

5.7

5150

515

種目

昭和年月日

乳量Kg

安定剤g

乳量日計Kg

安定剤日計g

配乳量Kg

備考

6150

6000

5000

6000

615

600

500

600

28300

2830

28300

5.8

5150

6150

6000

5100

6000

515

615

600

510

600

28400

2840

28400

5.9

5150

5000

6150

5000

6150

515

500

615

500

610

21300

6150

2130

610

21300

牛乳凝固せる為6150Kg 廃棄す

5.10

5150

5650

6000

6150

515

565

600

615

22950

2295

22950

5.11

5150

6150

6850

515

615

685

18150

1815

18150

5.12

6000

6150

6000

6000

600

615

600

600

24150

2415

24150

5.13

6050

6000

6000

600

600

600

18050

1800

18050

5.14

6000

6000

6000

6000

600

600

600

600

24000

2400

24100

配乳計算誤米乳量100Kg 減

5.15

6150

6000

6000

6100

615

600

600

610

種目

昭和年月日

乳量Kg

安定剤g

乳量日計Kg

安定剤日計g

配乳量Kg

備考

4000

400

28250

2825

28250

5.16

6150

6000

6000

6000

4000

615

600

600

600

400

28150

2815

28150

推定

5.17

6150

6000

6000

6000

4000

615

600

600

600

400

28150

2815

28150

推定

5.18

6150

5115

6000

6000

5000

615

510

600

600

500

28265

2825

28150

配乳計算誤乳量115Kg 米増

5.19

6150

5150

6000

6000

4000

615

515

600

600

400

27300

2730

27300

5.20

6150

5150

6000

6000

4000

615

515

600

600

400

27300

2730

27300

5.21

6000

5000

6000

4000

6000

600

500

600

400

600

27000

2700

27000

5.22

6000

5000

6000

6200

600

500

600

620

種目

昭和年月日

乳量Kg

安定剤g

乳量日計Kg

安定剤日計g

配乳量Kg

備考

4000

400

27200

2720

27200

5.28

6100

5000

6000

6000

4000

610

500

600

600

400

27100

2710

27100

推定

5.24

6000

4703.5

6200

6050

4000

600

470

620

600

400

26953.5

2690

26953.5

推定

5.25

6000

5000

6200

6000

4000

600

500

620

600

400

27200

2720

27200

5.26

5360.4

5000

6000

6000

4000

530

500

600

600

400

26360.4

2630

26360.4

5.27

ドライミルク製造せず

5.28

5000

5800

6000

6000

500

580

600

600

22800

2280

22800

5.29

6000

5000

6000

6000

600

500

600

600

23000

2300

23000

5.30

5300

5000

6000

6000

530

500

600

600

22300

2230

22300

5.31

5000

500

種目

昭和年月日

乳量Kg

安定剤g

乳量日計Kg

安定剤日計g

配乳量Kg

備考

6000

6000

6000

600

600

600

23000

6150

2300

610

23000

5.9廃棄分

30.6.1

5000

6100

6000

6000

500

600

610

600

23100

2310

23100

6.2

6000

5100

6000

6000

600

510

600

600

23100

2310

23100

推定

6.3

6000

5100

6000

6000

600

510

600

600

23100

2310

23100

6.4

6100

4900

6000

6000

610

490

600

600

23000

2300

23000

6.5

6000

4303

6000

6000

600

430

600

600

22303

2230

22303

6.6

6000

5000

6000

5500

600

500

600

550

22500

2250

22500

6.7

6000

5000

6000

6000

600

500

600

600

23000

2300

23000

6.8

6000

5000

6000

600

500

600

種目

昭和年月日

乳量Kg

安定剤g

乳量日計Kg

安定剤日計g

配乳量Kg

備考

4700

470

21700

2170

21723.1

乳量23.1Kg 米減

6.9

3480.6

6000

6000

348

600

600

15480.6

1548

15557.6

配乳計算誤乳量77.6Kg 米減

6.10

6000

5000

5140

600

500

514

16140

1614

16140

6.11

4060.8

6000

6000

400

600

600

16060.8

1600

16060.8

推定

6.12

5000

6000

6000

500

600

600

17000

1700

17000

6.13

5000

3000

6000

500

300

600

14000

1400

14000

6.14

5000

6000

3000

500

600

300

14000

1400

14000

6.15

6000

600

6000

600

6000

6.16

6000

600

6000

600

6000

6.17

5000

500

5000

500

5000

推定

6.18

ドライミルク製造せず

6.19

5000

6000

500

600

11000

1100

11000

6.20

6000

6692.9

600

669

12692.9

1269

12692.9

6.21

6000

6000

600

600

12000

1200

12000

6.22

6000

6000

600

600

12000

1200

12000

6.23

6000

6000

600

600

12000

1200

12000

6.24

5200

6000

520

600

11200

1120

11271.3

配乳計算誤米乳量71.3Kg 減

種目

昭和年月日

乳量Kg

安定剤g

乳量日計Kg

安定剤日計g

配乳量Kg

備考

6.25

6000

6000

600

600

12000

1200

12000

6.26

6000

6000

600

600

12000

1200

12020.1

配乳計算誤米乳量20.1Kg 減

6.27

6000

6000

600

600

12000

1200

12000

6.28

6000

6000

600

600

12000

1200

12000

6.29

6000

6000

600

600

12000

1200

12000

6.30

5000

5000

4000

500

500

400

14000

1400

14000

30.7.1

3850

5000

5000

385

500

500

13850

1385

13850

7.2

4600

3600

5000

460

360

500

13200

1320

13200

7.3

5000

5000

4000

500

500

400

14000

1400

14000

7.4

4000

4500

6408.1

400

450

640

14908.1

1490

14908.1

7.5

4000

4500

5500

400

450

550

14000

1400

14000

7.6

4500

5000

4000

450

500

400

13500

1350

11203.5

7月1日~5日配乳計算誤訂正乳量計2296.5Kg 差引

7.7

4767.4

7990

470

799

12757.4

1269

12757.4

推定

7.8

4000

400

種目

昭和年月日

乳量Kg

安定剤g

乳量日計Kg

安定剤日計g

配乳量Kg

備考

5600

5000

560

500

14600

1460

14600

7.9

4500

5150

4000

450

515

400

13650

1365

13650

7.10

5500

5000

4000

550

500

400

14500

1450

14102.2

米7月6日訂正乳量397.8Kg 差引

7.11

4050

5000

5500

400

500

550

14550

1450

14550

7.12

15000

1500

15000

1500

15000

推定

7.13

15650

1565

15650

1565

15650

推定

7.14

16000

1600

16000

1600

16000

推定

7.15

6000

6000

4000

600

600

400

16000

1600

16000

7.16

4000

6000

6000

400

600

600

16000

1600

16000

7.17

16000

1600

16000

1600

16000

推定

7.18

16000

1600

16000

1600

16000

推定

7.19

5000

5000

6000

500

500

600

16000

1600

16000

7.20

5000

5000

6000

500

500

600

16000

1600

16000

7.21

5000

5000

6000

500

500

600

16000

1600

16000

7.22

5000

5000

6063.6

500

500

600

16063.6

1600

16063.6

7.23

6000

600

種目

昭和年月日

乳量Kg

安定剤g

乳量日計Kg

安定剤日計g

配乳量Kg

備考

5000

5000

500

500

16000

1600

16000

7.24

6000

6000

6000

600

600

600

18000

1800

18000

7.25

3500

5000

5000

4300

350

500

500

430

17800

1780

17800

7.26

5000

5000

500

500

10000

1000

10000

7.27

5000

5000

6000

500

500

600

16000

1600

16000

7.28

5000

5000

6000

500

500

600

16000

1600

16000

7.29

5000

5000

6000

500

500

600

16000

1600

16000

推定

7.30

5000

5000

6000

500

500

600

16000

1600

16000

7.31

5000

5100

6000

500

510

600

16100

1610

16100

推定

30.8.1

5000

5000

6000

500

500

600

16000

1600

16000

8.2

5000

5000

5000

500

500

500

15000

1500

15000

8.3

5000

5000

5000

500

500

500

15000

1500

15000

種目

昭和年月日

乳量Kg

安定剤g

乳量日計Kg

安定剤日計g

配乳量Kg

備考

8.4

5000

5000

5000

500

500

500

15000

1500

15000

8.5

4650

5000

5350

465

500

530

15000

1495

15000

8.6

4330

5000

5000

430

500

500

14330

1430

14330

8.7

4720

6000

6000

4100

470

600

600

400

20820

2070

20820

8.8

6000

6000

4700

600

600

470

16700

1670

16700

8.8

6000

4945.7

600

490

10945.7

1090

10945.7

8.10

5060

6000

6000

500

600

600

17060

1700

17060

8.11

6100

6000

5520

610

600

552

17620

1762

17620

8.12

6000

6000

5000

600

600

500

17000

1700

17000

8.13

5000

6000

5000

500

600

500

16000

1600

16000

8.14

5000

5000

6000

500

500

600

16000

1600

16000

8.15

5000

5000

500

500

種目

昭和年月日

乳量Kg

安定剤g

乳量日計Kg

安定剤日計g

配乳量Kg

備考

6500

650

16500

1650

16500

8.16

6000

6000

6000

5430.2

600

600

600

540

23430.2

2340

23430.2

8.17

ドライミルク製造せず

8.18

6000

6000

6000

600

600

600

18000

1800

18000

8.19

6000

6000

6000

6000

600

600

600

600

24000

2400

24000

8.20

6000

6000

6000

600

600

600

18000

1800

18000

8.21

6000

6000

6000

600

600

600

18000

1800

18000

8.22

16000

1600

16000

1600

16000

推定

8.23

15500

1550

15500

1550

15500

推定

別表第六

製品出荷表

生産年月

生産高

(缶)

出荷先及び数量

昭和30年4月

8,323

〔注:ここに表示されていた表は出力されませんでした。この表はオンライン画面でご覧下さい〕

30.5

10,184

〔注:ここに表示されていた表は出力されませんでした。この表はオンライン画面でご覧下さい〕

30.6

6,129

〔注:ここに表示されていた表は出力されませんでした。この表はオンライン画面でご覧下さい〕

30.7

6,912

〔注:ここに表示されていた表は出力されませんでした。この表はオンライン画面でご覧下さい〕

30.8

5,550

〔注:ここに表示されていた表は出力されませんでした。この表はオンライン画面でご覧下さい〕

〔註〕 1缶……ドライミルク450g入り

出荷先・大阪とあるは森永商事株式会社大阪営業所

単に地名のみのものは同会社各出張所を示す

別表第七

使用量表

年齢

一回の使用量

一日の回数

授乳の間隔

ドライミルク

砂糖又は滋養糖

乳児用穀粉

溶かす液

新生児

1.5瓦(半さじ)

10.5瓦(3さじ半)

0.5瓦

4.0瓦(1さじ半)

10cc

90cc

8回

6回

3時間

半月迄

11.5瓦(44さじ)

4.0瓦(1さじ半)

100cc

6回

3時間

半月~1ヶ月

14.0瓦(44さじ半)

4.0瓦(1さじ半)

120cc

6回

3時間

1ヶ月~2ヶ月

18.0瓦(6さじ)

5.0瓦(2さじ弱)

150cc

6回

3時間

2ヶ月~3ヶ月

25.0瓦(8さじ半)

7.0瓦(2さじ半)

180cc

5回

4時間

3ヶ月~4ヶ月

27.0瓦(9さじ)

8.0瓦(2さじ半)

180cc

5回

4時間

4ヶ月~5ヶ月

27.0瓦(9さじ)

8.0瓦(2さじ半)

180cc

5回

4時間

5ヶ月~6ヶ月

31.0瓦(10さじ半)

9.0瓦(3さじ)

180cc

5回

4時間

6ヶ月~7ヶ月

31.0瓦(10さじ半)

9.0瓦(3さじ)

180cc

5回

4時間

7ヶ月~8ヶ月

31.0瓦(10さじ半)

9.0瓦(3さじ)

180cc

5回

4時間

別表第八

月令

新生児体重との比率

最小常用量(亜ひ酸無害量)ミリグラム

新生児

〇・〇五

半月

一・〇四九

〇・〇五二四五

一月

一・三〇七

〇・〇六五三五

一月半

一・五五三

〇・〇七七六五

二月

一・七〇二

〇・〇八五一

三月

一・九五

〇・〇九七五

四月

二・一七六

〇・一〇八八

五月

二・三七四

〇・一一八七

六月

二・五〇六

〇・一二五三

七月

二・五九四

〇・一二九七

八月

二・六八六

〇・一三四三

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例